タイトなパイオニア(2)

翔くんとオリンピックキャスターの話

2008年、翔くんが北京オリンピックのメーンキャスターとなった時、正直驚いた。「そこ行かされるかあああ」て思った。だって翔くんはそれほどスポーツに詳しい人じゃないから。もちろん2002のサッカー日韓WCの時は試合会場まで行っているくらい熱狂していたけどそれはあの人サッカー(だけ)は好きだし何より当時リア充大学生真っ最中だからサッカーファンというよりミーハーな「ハイ出た出たリア充」感の方が強かった。早慶戦には野球でもラグビーでも出没してたけどそれはスポーツ観戦が好きっていうより…だし。*1

手越やヒナちゃんや薮がキャスターやりたいって言うのはすーごくよく分かる。日常的に家で観戦してる人だから(あれ、手越さんは家でも見る人だっけ?そういえばサッカー狂なのは知ってるけどどういう風に好きなのか、あんまエピソード知らなかった。村上・薮は中居くんに通じるおたく体質)。で、実際前者2人がキャスターとして採用に至ったのも納得する。タレント力(りょく)が見合ったのはもちろん、知識もある人だから。

でも翔くんはそういうタイプの人ではない。全くおたく体質の真逆をいくクソリア充な性格だし、スポーツを継続的にじっくり見るっていう感じでもない。恐らく知識も弱い。何ならそういうカジュアル路線に行ってしまうのを残念にすら思った。翔くんには硬派なキャスターでいてもらいたい夢があったから。

というのも2006年にキャスターに就任してすぐ2ヶ月も経たないうちに38度線まで行ったのを翔くんらしいな~!と思って見ていて。ちょうどその時アジアツアーがあり韓国に行く予定があったからっていう大前提があるのはもちろんだけど、24歳の青年が、まだまだナメられているアイドルが、まだロケもインタビューもほとんどチャンスをもらえていない借りてきた猫状態の新人が、やっと取材に挑めるってなった時にいきなり38度線という題材を持ってくるという「ならアイドルがどれほどか見せてやんよ!」っぷりったらなかったし内容もアイドルのものとは思えないくらいハードだったし、やっぱり翔くんは9.11によって動かされているんだなと思えたから。だから翔くんがキャスターとして挑むべきはその方向だと思っていたし、スポーツや文化面に行ってしまうのはもったいなく感じた。

だけど、実際にキャスター姿を見たら翔くんとオリンピックの相性はすっごくよかった。それはオリンピックはスポーツの場であるだけではなく、ナショナリズムも絡み合う外交の場だから。そして、その視点でオリンピックを見れるジャニーズキャスター、いや芸能人キャスターはそういないんじゃないかと思うから。(ごめん欲目は認める)

ってぐらい北京の時の取材がすっごくよかった。当時忙しくなり始めていたものの、北京が物理的に近いからか結構な日数北京に滞在していて。開会式から行って、途中一時帰国したもののまたすぐ戻って閉会式までいて開催期間中恐らく8割くらいの日数は北京にいたんじゃねーかってぐらいずっといて(実際どんだけいたかは知らん)、日テレがOAする試合はもちろんしない試合もあっちの会場こっちの会場とそれこそタイトスケジュールで会場にずっといて。もうずっといるから試合の取材はもちろん色んなものを取材してくれたんですね。それこそ翔くん自身初めてのオリンピックでハイだったんだろうけど。

特に各国の取材陣を取材したり、選手村や取材エリアの紹介とかもしていたのが私はすごく面白かった。いや、そういう特集してる番組だって色々あるだろうし別に翔くんが特別なことしたわけじゃないだろうけど、スポーツのみではなく、選手村という小さな空間に世界中の人が集まっていること自体にも興味を持っているのが伝わってすごく翔くんらしい取材だと思った(し、英語使っちゃったりなんかしてガッついてコミュニケーションしようとしてる感とかファンにはたまらんかった)。北京の経済問題、社会問題とか取り上げてたのも印象的だなあ。何度も言うけど私は翔くんのキャスター仕事の中でも北京オリンピックが一番好きだった。今後越すものが現れるか分からないからもう過去形で言っちゃう。それくらい、北京の時の取材は素晴らしかった。*2

 

翔くんはパイオニアなのか?

でね、だから何でこんな話をしているかというとこんなaskを頂いたからなんですけども、

ask.fm


翔くんは本当に「まだ誰もしてないこと」を開拓したのか?答えはたぶん半分正解。翔くんはパイオニアだけど純然たるパイオニアじゃない。強いて言えば、変革者に近いかもしれない。話逸れるけどラップ担当だってあんまり大声でパイオニア!って騒ぐと中居くん慎吾ちゃんごうくんごめん、って思う。メンバー紹介ラップなんて少なくとも『Five True Love』*3からあるしリリックだってメンバー自身が書いていたのに、なぜ翔くんがジャニーズラッパーの祖みたいに見えるんだろう。*4 ただ、毎シングルにラップがあって必ず同じ人が一人でそのパート任されてファン内外からラップ担当って認識されて、っていうのは90年代にはなかったはず。シングル曲に自作リリックを織り込んだり、各グループにラップ担当がいるみたいな風潮になっていったのも翔くん以降の話な気がする。大学進学だってそう、本当はジャニーズ初の大学進学者ではない、デビュー組としては最初だけど。でも、真のパイオニア2人は翔くんの1つ上の学年で、そこには大学行く気満々の翔くんが近くにいた影響は絶対あると思うし、特に高学歴ブームは絶対翔くんがきっかけなのは間違いない。

で、キャスターにしたって元々スポーツ番組にジャニーズを起用する流れがあったから、じゃあ報道番組もやってみようっていうステップアップの発想じゃないかと思う。もし中居くんや太一くんがスポーツキャスターやってなかったら、番組制作側もいきなり翔くんを報道番組で起用しようとは思わなかったかもしれない。だからやっぱり先駆者があっての今だとは思う。ただ、翔くんは確実に今までにはない新しい視点を持ってきているし、翔くんを機にBefore翔くんAfter翔くんで変わっていった物事も多いから、翔くんはパイオニアではないけどやっぱりパイオニアなんだと思います。

 

っていうのがaskの話だけど、翔くんがやっているのは「一般紙」に近い。例えばオリンピックのキャスター、ワールドカップのキャスターっていうのは今後色んなアイドルにチャンスはあると思うけど、オリンピックの取材に行ってその国の経済問題、社会問題をリポートしたりしようとするのは翔くんくらいなんじゃないかと思う(そういう場がある人も少ない)(翔くんにはZEROという受け皿がある)。いや、相葉ちゃんだって世界体操の時に街のリポートもやっていたじゃないか、と自分でツッコむけどじゃああの時の相葉ちゃんのリポートと北京の時の翔くんのリポートとリポート内容の性質が同じかって言うと視点が違う、テンションが違う、議題が違う。いや相葉ちゃんをバカにしてるわけじゃなくてそれは「一般紙」の切り口を任されている(求められている)ジャニーズはまだそういないという意味。*5

だから世界サミットに行ったり(洞爺湖の話ね)ゴルバチョフに話を聞きに行ったりできるのも今のところ翔くんくらいなんじゃないかと思ってる。もちろんそういうところを目指して切り込んでくる後輩がいるならおう来い!やってやれ!って思う(気になるのが、私はevery.を見ていないので小山さんのキャスターぶりはわからない。去年の選挙特番のリポートぶりをみると近いところにいるかもしれないけどそもそも夕方のニュースは情報番組に近い議題も多い。)けど、あまりアイドルでそこを押し出し始めたらグループ活動にも影響してきそうで気楽に踏み込めるネタでもないと思う。あまり踏み込みすぎるのが正解かも分かんない。最近の翔くんのインタビューには「これは僕個人の考えであってグループの総意ではないのですが」と言ったような前提が頻出するのもそういうことなのだろうな。

 

なんとなく次回に続く気がします。前回のはこちら。

malika5.hatenablog.com

 

*1:そういえば2002年にいいとものテレフォンショッキングにハセキョーさんからの紹介で出た時「またPRIDEの会場でお会いしたらよろしくお願いします」みたいなこと言われていたような記憶があるんだがあれはなんだったんだろう。

*2:あれは初めてのオリンピックという本人の浮かれっぷりに加え、今じゃ絶対無理ってくらいたっぷりの時間をかけてもらえたことが勝因だったと思う。だからもう、あの時と同じくらい時間をかけれない限りあれに並ぶ取材は物理的にできないと諦めている。それは今を否定するわけではなく、北京がそれだけ潤沢に時間を投じた丁寧で上質な取材だった。

*3:SMAPのメンバー紹介ラップ。『BIRDMAN〜SMAP 013』(1999)に収録。

*4:翔くん自身、自分が先駆者ではなく先輩だってラップやってる認識はある。2014年3月17日OAのしゃべくり007でもその辺言及してる。

*5:例えば最近思ったけど、先日の戦争特番とZEROで同じ特攻隊の話を取り上げてたけどテンションが全然違って、ZEROの方が見ていて苦しかった。あの特番みたいなのは今後キャスター路線で攻めていきたい人がいれば将来像に据えれそうな雰囲気だったけど、ZEROはやっぱり重たいと思った。ZEROなんて報道番組にしてはカジュアルだけど、それでもやっぱり伝え方が重厚だった。

タイトなパイオニア(1)

翔くんがキャスターを目指したきっかけは、2003年に親不知抜いて入院したときにレギュラー番組で共演しているアナウンサーさんが別の報道番組で突撃取材しているのを見て「こういうことをしたい」と思ったから。っていうのはよく本人も言っているけど多分これは端折った説明で、これにはもう2つ視点を加えた方が面白いと思う。って私の思い込みの持論だけど。まずひとつは9.11、そしてもうひとつはその時翔くんが大学何年生だったか、ということ。

1.9.11について

翔くんがキャスターをやりたい、とはっきり思ったのは例の親不知事件だけど、そもそもそういうことに興味をもったきっかけとして9.11の影響は計り知れないと思っていて。というか、2001年に学生(小学校高学年~就活前の大学生)だった人にとっては9.11は進路に影響を与えるくらい考えさせられるものだったと思うけど(私の周りにはあれを機に進路を政治系や国際系にシフトチェンジした友人も少なくない)。
 
何でかというと、私は翔くんがそういう真面目な話というか社会的な話をしてきたのはこれが最初だと思っているんですが、

茉莉花 on Twitter: "わたしが思うキャスター翔くんの原点ってこれ。2001か2002のWUだと思うけどこの頃くらいからこういうこと言い始めたイメージ。あと2002のpersonでニューズウイーク読んでるって言ってて、そんで年明けて親知らずで入院からのアレ。 http://t.co/5iNrY5hw5G"

そうそう、高校の歴史の先生が“学生時代は時間があるから旅行をすることと、哲学書を読むことをしなさい”って言ってたんだ。だから、意味わかんないかも知れないけど、哲学書読んでみようかなって。友達とアメリカの同時多発テロのことを話してたときなんだけどさ。オレらの価値観からしたら自爆テロした人たちはおかしいと思っちゃうけど、イスラム社会の人からみたらアメリカの態度が傲慢なわけじゃん。お互い自分たちの価値観が正しいと思ってるけど、ほんとに正しいことって考えたとき、価値観がなんなのかわからなくなってきたっていうのを小学校から一番仲いい友達が言ってたのね。中近東の時代背景とか知らないことも多いわけで、そういうことも含めて、いろいろ知りたくて仕方ないんだ、今。


そんでソロコンでやっていた『Where is love?』に載せていたリリックがこれと同じことを言っているんですね。かつその数年後にその音源を流したSHO BEATで「言っていることは青臭いけど、思っていることはだいたい変わりません」みたいなこと言ってる(ググると当時のラジオの書き起こしいっぱい見つかるからソース欲しい人はググってください)ので、ずっとブレずに持っている軸のはずなんです。あぁ、ZEROでグラウンドゼロに行ってたときにもそんなこと言ってたような…。

2.これらが大学何年生の時に起きたか

このね、9.11と親不知事件が大学何年生での出来事だったかっていうのが一番のポイントだと思うの。
 
大1 2000.04~2001.03
大2 2001.04~2002.03 :9.11
大3 2002.04~2003.03
大4 2003.04~2004.03 :親不知抜いて入院
 
まず9.11は大学2年生のとき。この頃はデビュー2~3年目とかでそこまで仕事もなくて、レギュラー番組もUSO?!ジャパンと嵐音があるだけでドラマもやっと1本2本やってみたくらいの頃。それよりも週5大学に行っててまじ単位取りまくってて全然学生色が強かった、そんな時に9.11があった。
たぶんこの頃はイチ学生の面が強いから普通に学生として興味を持ったはずです。
 
そして、2002年秋ごろになると、翔くんの周囲は就活をし始めます。「これから就活ガイダンスあるけど、お前も来る?」って友達に誘われて「俺もうジャニーズ事務所から内定もらってっから」って答えた、なんて話を笑いながらしてたりするんだけどここでちょっと面白いのが翔くんは結構周りの就活を見てるんですね。ごめん記憶だけで書いてるからソース出ないけど「自己分析の手伝いをした」とか。それ読んでた頃自分はまだ制服を着ている頃だったので全然意味が分からなかったけど、いざ自分が就活を経験するとあの時言っていた意味がよく分かった。自己分析ってこういうことか!と思ったし、これを知ってるアイドルって面白い!と。就活でやる自己分析って結構初めてってくらいに自分に真剣に向き合う機会だし、あれを知っている翔くんはアイドルとして生きている自分の意義や目的をものすごく考えるきっかけになったんじゃないかと思います。何なら、診断サービスくらい受けてそう。
そう、私はこの時翔くん自身も自己分析してると思ってるんですよ。そんなことはどこでも言ってなかったと思うけど。でも就活していく友達を見ているし、そのことについてアイドル誌で話していることも少なくなかった。(と、同時にモラトリアムの終焉*1を意識し始めたような感じ)
 
で、2003年の5月だっけ?に親不知事件です。あの人は学校に遊びにと当時から予定を詰め込みまくってる人だったからテレビもほとんど見てなくて(話逸れるけど10周年前後くらいに「そういやテレビの仕事してるのにテレビあんま見ないってのもどーなんだ、と思って最近はなるべくテレビ見るようにしてる」と言ったのがすっごい興味深かった。やっとか!という気持ちと、あー翔さんが変わるーという気持ちと。大学生の頃は移動中も帰宅してからもテレビつけずにコアな音楽聴いてばかりの人だった。だからラップ方面の変化はめまぐるしくてある意味あの頃はテレビの仕事<コンサート・歌・踊りの仕事という実状だったのかなとも思う。)、そんなわけで落ち着いてテレビを見るという行動をやっとしたのがあの入院期間だったらしいんですよ。入院して初めて、森下アナが報道やってる姿をまじまじと見たわけです。
 
で、まぁそこに、「まだ誰もやってないことをやりたい」という当時のやたらと反骨したがる翔さんの欲求にガチっとはまったのもあり、自分の進路のひとつとしてキャスターというアイディアが浮かんできたんだと思います。そのとき翔くんが見据えていたのは現場を駆けずり回るフィールド記者だけど。 (まさにその道に妹さんが進んでいるというのがなんとも)

だから、なんかいきなり親不知事件が出てきたみたいに見えるけどそうではなくて、あの大学3年生から4年生にかけての時期はイチ学生と同じく自分の未来について考え込んでいた時期だったんだじゃないかな、って。それまでは気がついたら渦に巻き込まれ頭が追いつかないままとにかく走ってみるしかなかったから(しかもまだJr.の頃の学業優先が抜けてなかったのか、1・2年のときめっちゃ大学行ってたからな、あの人。就活するわけでもないのに普通の学生と同じように1・2年にまとめて単位取りすぎてたから、確か1年の時フル単とかだしな)。そこに、考え込むきっかけとなる大きな事件があったこと、それが大学生の進路を決めるタイミングと綺麗にハマっていたことが翔くんをそこに導いた大きな流れのひとつだと思っている。
 
 
…と、いうことをZEROスピンオフを見ていて話したくなってしまったので勢いだけで衝動的に書いた。あんま推敲してないから読みにくいと思うすみません。(1)と題したわりに続きをいつ書くか、そもそもほんとに書くのかも分からないけど、気が向いたらスピンオフの感想みたいなこと書くかもしれない。っていうか例の可愛いだけじゃかっこ悪いの話はいつかまとめたい。
 
それにしても将来、社会派キャスターのパイオニアなんてとんでもない未来を作る重要なきっかけが「親不知4本一気に抜いたら顔パンパンになりすぎてテレビにも出れる顔じゃないから収録欠席」っていうのがどうしても笑ってしまう。親不知抜くのに全身麻酔で4・5日入院ってどんだけだよ。試験期間と連ドラが重なって1週間で睡眠時間10時間くらいでシャワー浴びながら立ちながら寝てしまうような極限で全力疾走してた人が、顔がパンパンすぎてなまあらしに出られませんって電話してきたときの情けなさは一生ネタにしてやる。どんだけパンパンだったのか、いっそ出てほしかったよ。

*1:私は「モラトリアムの終焉」という言葉がすごく好きなんだけど確かこれは『きみはペット』のどっかで出てくる。

『THE DIGITALIAN』のツアーDVDが出るので今更だけど『Take Off!!!!!』を読解する

2014年10月24日に『Take Off!!!!!』を聴いてついカッとなってクォリティの低い長文を書きなぐったものの公開せず、下書きに眠らせ続けていたヤツを見つけた。自分で読み返してみたらちょっと楽しくなっちゃったので、今更だけどデジコンBDリリース記念ってことにして手直しして放出しちゃう。参考文献:2014年9月10月のオトノハ


そのうちご本人が講釈垂れてくださるだろうから勝手なことを言うのはどうかと思っていたのだけど、あんまり解決しなかったところや気になるポイントをちょいとピックアップ。

前提として、オトノハで「La tormentaから紐解いて」Take Off!!!!!を書いた、とご本人が言っています。そんでLa tormentaは「(過去、唯一)サビまで書いた」曲だとも言っています。Rapだけじゃなくてサビまで書いたLa tormentaがベースになっている、ということを踏まえてどうぞ。*1

 

-「いちに しのごの言わせぬ the 秘蔵っ子」

四(し)の五の言・う【四の五の言う】
なんのかんのと文句や不平を言う。「―・って言うことを聞かない」
提供元:「デジタル大辞泉

何で「いちに」付けたんだろうね。特に関係ないだろうけど何となく思い出すのが昔、「1 2 5 君で 3 4 がない right?」*2なんてリリックもありました。話逸れるけどこの「1 2 5 君で」って表現、絶対努力マン脳裏にいただろ~!wって思ってるんだけど翔さんどうなの?ラッキーマン世代って言うにはちょっと年が上な気もするけど。でもだって普通1と2と5って違うもの入れるじゃん?同じの入れたら「1に努力、2に努力、3・4がなくて5に努力!」じゃん?w

-「色とりどりの虹」「What's your color なくても doesn't matter」
あんまこういうヲタク寄りの思想押し付けたくないけど、な~んかメンカラが浮かんじゃうよねぇ。なくても問題ないよっつって。何色でも構わんよっつって。

-「Hurry! 暁の間に」「Telling! すぐに夜明けに」

あか‐つき【暁】1 太陽の昇る前のほの暗いころ。古くは、夜半から夜の明けるころまでの時刻の推移を「あかつき」「しののめ」「あけぼの」と区分し、「あかつき」は夜深い刻限をさして用いられた。夜明け。明け方。
提供元:「デジタル大辞泉

夜とかのワードを聴いて思い出すのは『RIGHT BACK TO YOU』の「明くる晩」なんだけど、ど、、、?っていうのは乱暴かなあw講釈欲しかった。
『Attack it!』(2009)の
「明くる晩もまだまだ Hold me tight 絡まってこのまま騒ごうぜ同志達」
「明くる晩もまだまだ“もういいかい?” ただ待ってくれる輩などそういない you see」
これは
『RIGHT BACK TO YOU』(2004)の
「明くる晩もまだまだ包囲内 だからって隙あらば逃げる事を理解」
がベースにあるのはまあ間違いなくて、この「明くる晩も~」って言葉にはもんのすごい意味が込められてるっていうのはきっと言わなくても今まで散々語り継がれているよね???って思ったんだけどあれって初回限定盤にしか入ってないんですっけ。5x5についているセルフライナーノーツで翔くんがライバのRapについて解説していまして、しかし実は今手元にないので記憶だけでさっくり説明すると、「明くる晩」は明日。つまり未来。「包囲内」って言うのは自分たちのファンで居てくれているという意味で、明日は包囲内かもしれないけれど「隙あらば逃げる」=自分たちがうかうかしてると応援してもらえなくなることを分かっていますよ、という意味だそうで。で、「人々連れ開拓宇宙」は包囲内にいてくれるなら一緒に未開拓地を開拓していこう的な意味で。*3
そんなライバ(2004年=5周年)から5年経つ(Attack it)と、「まだまだ」「このまま騒ごうぜ」になるわけです。ちょっとだけ能動性とか自信が出てくる。あと「同志達」と言われると『スケッチ』(2004)が思い浮かびますね。*4 でもやっぱり「ただ待ってくれ」ない(≒「隙あらば逃げる」)のは分かってるわけです。
…とまあ「明くる晩」シリーズがつながってるのは自明として、「暁」「夜明け」をここに繋げるのはやっぱり乱暴かなぁ。単純に飛行機は深夜に離陸はしないから、夜が明けたらすぐに飛び立とう!というモチーフの意味だけかも。でもこじつけかもしれないけれど、もしも「暁の間」や「夜明け」が「明くる(晩)」と同じと仮定すれば、Attack it(2009年=10周年)から5年経つ(Take Off!!!!!)と次の晩なんて待たず夜が明けたらもう先のその先へ行こう!とだいぶオフェンシブになった印象。それに、「隙あらば逃げる」のような離れていく側は見なくなってますね。「舞うからまだまだ 行こうよ」って呼びかける方(「開拓宇宙」の流れ)だけ残ってる。っていう妄想。
それにしても「添い行く come together」とか「人々連れ開拓宇宙」とマインドなんら変わりないよね。10年経っても状況こんなに変わっても同じこと言ってるよね。愛しい人たちですね。

-「Let's get it on!」
『Take Off!!!!!』を書いていた頃のオトノハで「“れっつげのん”」と言っていたくらいだしこれは『A・RA・SHI』(1999)由来かと思ったんだが『A・RA・SHI』は「Let's get on」なのか。でもイディオム的に「Let's get it on」が正解?まあ『A・RA・SHI』の作詞家はアレだからなぁwここは深くツッコまずさっくり行こう。

-「光る5つの輪の向こう」
「5つの輪」は『Re(mark)able』(2008)から。では、なぜ光っているの?『Re(mark)able』で「松明」を「灯」したから?『Re(mark)able』から今までの間に「光をこの手に掴」んだから?飛行機が光る輪に向かって飛んでいるの?越えていくの?光る輪は空に浮かぶものなの?元々あるの?あー分かんない、教えて先生。*5

-「波とセッション発祥」「颯爽」「滑走路」
こ!!れ!!は!!!『La tormenta』からの引用で間違いない。トルメンタっていうと♪Ride on fire storm~ を口ずさむ人も多いと思うけどあのフレーズがついたのは2003年の『how's it going?』のコンサートからで、あれが3形態目のトルメンタになります。あ、でもあの時のタイトルって『La tormenta chapter Ⅱ』だっけ、そしたら2形態目と数えるべきなのか…?

第1形態のトルメンタの登場は2001年の春コン『嵐が春の嵐を呼ぶコンサート』で、あの時は
「嵐 探し shout out しっぱなし 嵐 探し shout out しっぱなし 嵐 山が上 下に置く風 AMNOS神風」
の繰り返しがサビ扱いでした。
第2形態のトルメンタはその次の2001-2002の冬コン『Join the STORM』で*6、その時に
「確かに 駆け出し 負けなし is嵐 波とセッション発祥 滑走路 颯爽」
という歌パートが出てきます(ということを私は『Take off!!!!』を聴くまですっかり忘れ去っていて、「波とセッション発祥ってなんか知ってる…なんか知ってる…どこで知ってるんだ私…」って考え込むこと数時間でやっとメロディ思い出した)。「波とセッション発祥」っていうのはもちろん、ハワイのクルーザーの上で(波とセッション)デビュー(発祥)したよ、の意でしょう。翔くんの言っている「サビまで書いた」はこの太字部分のことを言っていると思います。そしてここを紐解いて『Take Off!!!!!』を書いたのだと思われます。

「嵐 探し shout out しっぱなし」「確か」「駆け出し」のライムは2002年の『Theme of ARASHI』に、
「嵐 山が上 下に置く風 AMNOS神風」は『la tormenta 2004』に既に生まれ変わっているので、今回のTake Off!!!!!で残っていた「波とセッション発祥」「滑走路」「颯爽」のライムも音源として形になったことになりますね。

………余談だけど、「嵐 探し shout out しっぱなし」というフレーズのそもそもの初っ端は2000年の夏コンの桜井ソロ*7(自作ラップ曲『fly to the moon』)になります。こんなわけでリリックのリプライズみたいなのはちょいちょいやってる。

-「あん時には結構 that's all 逆境を脱走 "Hello, what's wrong?"」
この流れでこの詞が来るなら「あん時」とはLa tormentaを歌っていた2002年の冬、というかレーベル移籍やピカンチがあったあの頃のことと捉えていいよね?…って思ってたんだけど、じゃなくて「波とセッション発祥」したとき(つまりデビュー当時)のことだろうか。いやでも逆境を脱走感あるのはやっぱ2002~2006年だなあ。*8*9
that's all:それがすべて。これ以上ない。
what's wrong?:どうかしたの?どうした?

-「地上の飛行法」
1番の「素人なりの我がこの飛行方法」は分かりやすいけど、さてこの意味は。どちらにしても素人の飛行、地上の飛行、と飛行に似つかわしくない言葉を並べることで自虐、謙遜の側面があるのかな。「守り通すヤツらだと曰く付き」*10的な。

-「叫びゆく "Take it!"」
“Take it so so”由来………?(自信はない)私はTake it! つったら『スケッチ』の最初が浮かぶ。

-「My Fellow, ARASHIANS」

ケネディ引用かと思いきやオバマ引用だったわけだが、オバマケネディ引用であるので、できれば翔さんにはそこまで言及してほしかったところw(後乗せサクサクでもOK)

-「Past and futureの滑走路を」

そこはかとなくLa tormentaを想起させてセンチメンタルにさせておきながら結局未来志向なのだよね~。翔くんは折に触れそういうことを言葉にする。「自分たちの仕事は現状維持が必ずしもいいことだとは限らない」みたいなことを都度都度言っていたり。アルバムの話をしているオトノハで『Future』(2007)のリリックの心境だと言ったり(「だって僕ら見るのは 昨日じゃなくいつでも今日じゃない」あたりかな)嵐については『Rock this』(2011)あたりで書ききったと言っていたり(「見える明日を過ごすのはてんで御免です」とかね)。5年周期で振りかえりたくないとかいう割には今回もこんなに丁寧に過去から紐解いているけど、それが目的なのではなくてあくまでそのPastからまっすぐのびる滑走路をfutureに向かって飛んでいくお話なのだよな~。

-「光る6の輪の向こう」
なぜ「むっつの」ではなく「ろくの」なんだろう。むっつでも音的にハマるし、どっちも韻関係ないよね?ここに意図はあるのですか先生。講釈ください先生。
ここの詞の解釈において“6人目の嵐”説をあんまり支持したくなかった私は「Past(5つの輪) and future(6の輪)」、つまり15周年の先にある16年目のその向こう説を推したかったんだけど、デジコンの振付を見るとまあ素直に「A to the r a shi…and you!」 つまり「聴いてるあなたも含む同志よ~」だろうね。
だとしてもそもそも何で光るのかがやっぱり分からなくて、リマカでLIGHT UP!したからかな?とも思いつつ「光る6の輪」を色々調べた結果、翔さんの脳裏に浮かぶ大空を舞う飛行機はブルーインパルスだったらいいなあと思った。*11

 

 

 

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※以上ヲタの勝手な読解になりますので、翔さんの真意と違っていても怒らないでくださいw

*1:ついでにLa tormentaはスペイン語で「嵐」という意味で、最初に作った2001年当時翔くんは大学1年生から2年生に上がる頃で大学で第二外国語にスペイン語を選択していたので、そっからこのタイトルをつけた、って話もいうまでもないですよね。

*2:『Overture』(2005)

*3:これを読んだ友達が「櫻井くんってやっぱり頭いいわ!こういう客観視ができて冷静に状況見えてるのすごいよ、感動しちゃった。」と言ってくれたのが嬉しくて嬉しくて私はこの詞が大好きでな….。

*4:声高に呼ぶ同志と 聴いてるあなたも含む 同志よ

*5:これが、後で述べる飛行機が描くスモークのことなら納得できる。青空に浮かぶ白い飛行機雲は光って見える。

*6:この間に少クラ版トルメンタもあるけど、それは第1形態の進化系って扱いでいいでしょう。少クラ版はNHKでOAするにあたって「涙をふき健太を演じた」とか「二代目就任金田一」とか「夏前に父さん」とか民放ドラマネタを省くためRapがちょろっと変わってる。

*7:当時は「桜井翔」くんなのであえて。

*8:ピカハフ表紙の会報眺めながらRap書いてたとも言ってたし、やっぱ本作のリリックにはピカンチ期(2002~2004)への郷愁みたいなのも含まれると思うんだあ。

*9:私は2014.06~09のピカハフからハワイまでをひと続きのイベントとして見ている。

malika5.hatenablog.com

*10:『COOL&SOUL』(2006)

*11:丁度翔さんがこのリリックを書いていたとされる頃、国立競技場が閉鎖されて、そのセレモニーでブルーインパルスが飛んだりしてたから。あと、この頃録画した『空飛ぶ広報室』を見て時差でどハマりしていたという私の都合wでもデジコンのムビステの形ってブルーインパルスの隊形に似てるよね。デルタ隊形で1機目の後ろに位置する4機目を抜いた5機分の形。

舞台『カラフト伯父さん』感想

一応、自分の中の『カラフト伯父さん』を留めておくべきだと思うから感想のようなものを書く。でも全然大したものは書けない。本当はせめて東京と大阪の間にでも感想を書こうと思っていたのだけど結局全部終わってから(っていうかワク学前に駆け込むように無理にまとめた)になってしまった。あまりに「次」のネタが次から次に来るので、もう既に徹くんが遠~~~~い遠い北。じゃないな、遠い遠い西に行ってしまった気分だよ。







初めて観たときは第5場がすごすぎてそこにばかり気が行ってしまったけど、物語は第3場から大きく動き出すんだよね。第3場が一番対峙するところで、3場でああなるから徹くんは4場で前借りしたお金を叩きつけるように渡す。*1 3場で初めて徹くんの闇に気付くから5場で悟郎ちゃんはああなる。3場の理解が「あの日、僕らは何を失ったんだろう……」という煽りの答えなのかなと思った。

まず悟郎ちゃんが「あの日」「失った」もの。
これは徹くんの信頼・信用・愛。悟郎ちゃんは5場でやっと、徹くんが自分をどれだけ必要としてきて、どれほど心細く生きてきたかを知る。ずっとずっと、ただ待ってた。来てくれることだけを待ってた。なのに自分は電話一本で終わらせてしまった。お金は送った。募金活動はした、しかし渋谷で。徹くんが知る由もない、遠い遠い渋谷で。*2

徹くんは来て欲しかった。何をして欲しいじゃない、ただカラフト伯父さんに来て欲しかった。来て!今すぐ来て!助けて! そうずっと思っているのに、カラフト伯父さんは待てど暮らせど来ない。漸く来たのは鉄工所の親父さんのお葬式の時だった。この時もう徹くんはカラフト伯父さんを憎んでいる。憎んで憎んで恨みが爆発しているから売り言葉に買い言葉のようにこう突き放す。
「あぁ言うた!ここを継ぐって!あんたの世話になりたくなかったからのお!!」
悟郎ちゃんはこの真相を聞いて初めて、自分が「何を失った」のかを知ろうとする。



第1の疑問:震災当時は名前を呼び続けるほど信頼していたのに、何故2年後には「激しい憎悪を抱く」(公式サイトより)ほどになってしまったのか。

待ち望んでいたカラフト伯父さんは鉄工所の親父さんの葬式になってやっと来た。でもその時にはもう徹くんは心を閉ざしている。思うに、あれは徹くんにとって「すべて終わったしまった」タイミングだったのかな、って。お母さん、おばあさん、おじいさん、と大切な人を次々と亡くしてきてもう残るは親父さんしかいなかったのに、とうとう最後の灯火である親父さんまでいなくなってしまった。きっと徹くんにとっては震災から次々に灯火が失われていくような気分だっただろう。あるいは、待ち望んでも待ち望んでも来てくれないカラフト伯父さんも徹くんの中ではとっくに死んでしまっていたのかもしれない。

そして最後の灯火が消えた後でカラフト伯父さんはのこのこやってきた。いや悟郎ちゃんからしたら事情はあるし寧ろ正論とすら感じる(離婚後相手が再婚してたらそりゃあ普通は顔出せない。亡くなったおじいちゃんおばあちゃんもどちらの親族か分からないけど少なくともカラフト伯父さんにとっては他人で、身寄りがすべていなくなった親父さんのお葬式のタイミングがやっと父親に戻れる、徹くんともう一度家族になれると思ったタイミングだったのかもしれない。)*3 けど、徹くんにとってはきっと今更だった。自分が辛い時、怖い時、誰かに守ってもらいたいとき、いっつもいてくれない。口ばっかりで、自分が本当に来てほしい時にはいっつもいない。父親らしいことは一度もしてくれない!(これもカラフト伯父さんとしては、千鶴子さんが生きてた頃まではしてきたつもりだったと思う。「入学式とか卒園式とかは必ず参列して。父親だからな。」って台詞があったはず。でも千鶴子さんもいなくなってしまっては、徹くんの現在の家庭はあまりにアウェイで行きにくかっただろう気持ちも一般論として分かる。)肝心な時にはいつもいない!*4 徹くんのなかではそういう評価になっていたのだと思う。



第2の疑問:徹くんのカラフト伯父さんの評価

「あんたもカラフト伯父さんに騙されたクチか」(第1場)
「何でや?何で嘘泣きしてやらなんだ?あんた、嘘泣きは得意やろ」(第3場)
「あの話聞いたか?銀河鉄道の夜。」「聞いとらんならええ。」「ええって言うとるやろ!!あいつの言うことなんて嘘ばっかりじゃ、嘘八百並べとるだけじゃ!」(第4場)
「(切符代を飲んじまったカラフト伯父さんを見て狂ったように笑って)こういう男なんじゃこいつはー!」(第5場)

徹くんの中でカラフト伯父さんは「嘘泣きが得意」で、人の金で飲みに行くようなクズ男なの?嘘ばっかり(と、徹くんに思わせることをしてきた)なのは徹くんの独白からよく分かるけど、嘘泣きや「こういう男」の表現はなかった気がするので、これはカラフト伯父さんの人となりと察させる表現なのか、いかに徹くんのなかで憎悪になっているかを察させる台詞なのか。



第3の疑問:徹くんはなぜこんなにもカラフト伯父さんを待っていたのか。

徹くんはなぜこんなにもカラフト伯父さんに「来て」欲しかったのか。それは約束したから、なのかな。徹くんの母親・千鶴子さんが亡くなったとき、悟郎ちゃんは小学生の徹くん(「20年近く前かな、徹がまだ小学生だったから。千鶴子の葬式の時に…」という台詞があったはずだから、千鶴子さんは徹くんが小学校低学年くらいの頃にに亡くなったと思われる。)に向かってこんなようなことを言う。
「お母さんは死んだんじゃない、“ほんたうのさいわひ”を探しに行ったんだ」
「今の苦しみも、悲しみも、いつかきっと、何かの役に立つ」
「その時まで、おじさんは銀河鉄道が向かうサウザンクロスのように、ぴかぴか、徹のことを照らし続けてあげるからね」
(台詞はニュアンスで)

カラフト伯父さん、僕はいっぱい苦しんでいるよ、もうこれ以上ないってくらい悲しみが次から次に襲って来るんだよ、これ以上苦しんで悲しんで、これが何の役に立つの?おじさんはその時まで僕をぴかぴか照らしてくれるんじゃなかったの?なのに全然来てくれない、来てくれないから自分の人生はずっと苦しいままだ。と、思っていたとしたら。徹くんは本当にただカラフト伯父さんが自分を照らしに来てくれるのを待っていたのだと思う。来て何が変わるわけでもない。来たらすべてが快方に向かって日々が明るくなるわけでもないのも頭ではきっと分かってる。だけどその時まで(=ずっと、いつでも)ぴかぴか照らし続けてくれると子供の頃のヒーローが約束したから。だから目的はなんでもない、ただ来てくれること、ただ照らしてくれること、励ましてくれること。実益じゃない、ただ父親としての愛をくれること。でも徹くんは待ちくたびれた。待てど暮らせど照らしに来ない。次々悲しみは増えていく。嘘つき。あいつの言うことなんて嘘ばっかりじゃ。嘘八百並べとるだけじゃ。

親父さんが亡くなってしまった時に徹くんはもう照らされることも諦めてしまったのだろう。徹くんが「あの日」「失った」もの、それはカラフト伯父さんという光かもしれない。



第5場。徹くんの叫びを聞いて、悟郎ちゃんはこういう。
「カラフト伯父さん、ただいまやって参りましたーーー!」
「自己破産寸前でぼろぼろだけど、徹のために、今夜、参上致しましたーーーーーー!」
(台詞はニュアンスで)

いや、あんた何日かここに寝泊りしてたやないか。うん、だから物理的には参上したのは今夜ではない。でも今までは何も分かっていなかった。「カラフト伯父さーーーーん!!」って泣き叫んで夜な夜な震えながら待っていた徹くんの叫びに応えるようにやってきたのは、月夜に照らされたあの瞬間だった。(あの鉄工所の屋根には雪が入ってくるような亀裂があるので、独白の時の真っ白な光は差し込んできた月光で、江戸ポルカのあと荷台に寝転んだときは亀裂から月か星か、はたまた見えない銀河鉄道でも見上げているのかな。って。イメージ。)徹のことをぴかぴか照らしてあげるために来たのはこの瞬間だった。徹くんの目的はただそれだったから。自分を照らしに来てくれることを待っていたから。来てくれないと自分の人生は真っ暗のままだったから。でもやっとカラフト伯父さんが自分を照らしに来てくれた。今までいっぱい苦しみも悲しみもあったけど、カラフト伯父さんがぴかぴか照らしに来てくれたから、だから今までの悲しみも苦しみも、いつかきっと、何かの役に立つ、って思えたのかもしれない。*5



第六場の徹くんはまるで憑き物でも取れたかのように非常に晴れやかでポジティブで表情がくるくる変わってまあかわいい。でも実際3人の状況は何も変わっていない。そう、こいつら揃いも揃って崖っぷちなままなのだ。悟郎ちゃんは相も変わらず自己破産寸前、破産手続きしたところでその先の策はない。仁美ちゃんはまだ赤ちゃんの顔も見れていなくて、本当に大変なことはこれから。徹くんだって「まるで墓場みたい」な「住んでる人も町も変わってしまった」「めためた」な町工場に居続けるのは変わらない。実際は何も変わっていないけど、へこたれずにここで勝負していくつもりだと笑う。「佐藤の親父に泣きつかれた!お前がおらんとコンピュータ扱われる奴いてへん~って」「ここで頑張っていくつもりや!」そう語る背中とそれを見守る二人の目はすごく晴れやかなので、この3人は何も変わってないけど確実に変わった未来に歩き出すんだろう。「ほな、行こかーーーーーーーーー!」って。



余談。
私は3回ある徹くんと仁美ちゃんだけのシーンがすごく好きなんだけど、たぶん徹くんと仁美ちゃんって結構歳近いよね。演じていた松永さんも仁美ちゃんがいくつなのか知らないって言ってたけどw
鉄工所の親父さんが亡くなったのは震災から2年経ってからで、その時徹くんはもう二十歳だったそうだから、2005年時点の徹くんの年齢は27~28歳(誕生日がいつかによる)だと思われる。で、一方仁美ちゃんは妊婦だから妊娠するような年齢、でもストリッパーなんてちょっと若くなさそうな商売(若いならキャバかなって)をしてることや悟郎ちゃんの「彼女?みたいな?」ってことを考えると30代前半か、いっても半ばあたりが妥当かなーというイメージ。親父さんが亡くなってあまり人と深く接さず一人で生きてきたであろう徹くんにとって久しぶりに友達みたいな存在に出会えたのかな、と思うと「あんたさえ良かったらここにおったが」(方言の聞き取りに自信がない)と言った時の徹くんの気持ちを想像してきゅんとなります。

結局、銀河鉄道との関連や、「お猿のチンチン電車」については読み込めていませんが一旦こんな感じで。


銀河鉄道の夜』は青空文庫で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html

 



関係あるか分かりませんが、神戸にある動物園に行ってみました。動物園なのに機関車の模型と子供用の小さな汽車があるの。小さな汽車は全然ぴゅっぴゅーって程度の汽笛しか鳴らなかったけどw

蒸気機関車?!あれ、蒸気機関車よね?」「ウキキィ! 動物園だよ。方角的に間違いない。駅反対だし。」

 

 

*1:「前借り」するには佐藤の親父に頭下げたはずだし、そんなに働きに行ってもいないところで前借りするって相当だし、投げつけるように渡すあたりにつまりこれ持って今すぐ出てけや、ってほどの気持ちになっていることがすぐ分かる。徹くんをそこまで思い至らせたのは3場で悟郎ちゃんが徹くんの地雷を踏みまくったからだ。

*2:ここ、いつも気になってたんだけど悟郎ちゃんは募金箱にお金を入れたのだろうか、それとも募金を募る活動をしたのだろうか。「渋谷で募金もした!できることはやったつもりだ!」という台詞と共に、募金箱を持って頭を下げる動きをする。「募金をした」という言葉からは私は“募金箱にお金を入れた”という意味に聞こえてしまうのだけど、悟郎ちゃんは募金箱を持って頭を下げたのだろうか。それだと、「仕事が忙しかった」「小さな出版社だが自分は社長で、社員は5人。切り盛りするのに必死だった」わりに、募金活動をする時間は捻出できたことになる。(もちろん忙しいだけじゃなくて、交通手段の乱れや、鉄工所の親父さんという家族が居るのにしゃしゃるのも、っていう常識的判断はさておき。)

*3:あと出版社の社長っていうのもそこまで計算してるのかどうか。徹くんが2005年に28歳あたりとすれば、徹くんが幼かった頃は80年代で景気もよくて出版業界もにぎやかだったはず。でも90年代になってバブルがはじけて、2000年あたりで氷河期が来て、出版業界も厳しくなったのかな。いやここ数年の落ち込みがひどすぎて10年前はまだ本売れてたやろ、って思っちゃうけど、少なくとも80年代は景気いいだろうからマイムマイムしちゃったりタップダンス踊ったりエアマジックやる愉快なおじさんだったろうけど、2000年代になったら色々疲れてるだろうし仕事がいっぱいいっぱいだったのは時代背景的なことも含めてるのか…?とか。

*4:それと3場で「あの時、お前を引き取っておけばよかったのか……」という台詞も気になっている。「あの時」 とはいつなのだろう。離婚する時?千鶴子さんが亡くなった時?親父さんが亡くなった時?っていうのが私には分からなかった。どこって思うかでその台詞を言われた後に毛布を投げつけて怒るシーンの印象が変わってくる。でもポイントはそこではなくて、徹くんがなぜ絶望してるのかを分かってくれてないってとこだよね、きっと。捨てられたと思って絶望してるんじゃなくて、その前に思い出すことがあるやろ?忘れたんか?この嘘つき!っていうところに悟郎ちゃんはまだ気付けていない。

*5:そういえば大阪だけ?5場の暗転の時に星空に包まれるような照明になっていた。4場の暗転も溶接の光がきらきら飛び散ってあれも星みたい。そういえば徹くんの名字は星川。星川製作所。