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舞台『カラフト伯父さん』感想

一応、自分の中の『カラフト伯父さん』を留めておくべきだと思うから感想のようなものを書く。でも全然大したものは書けない。本当はせめて東京と大阪の間にでも感想を書こうと思っていたのだけど結局全部終わってから(っていうかワク学前に駆け込むように無理にまとめた)になってしまった。あまりに「次」のネタが次から次に来るので、もう既に徹くんが遠~~~~い遠い北。じゃないな、遠い遠い西に行ってしまった気分だよ。







初めて観たときは第5場がすごすぎてそこにばかり気が行ってしまったけど、物語は第3場から大きく動き出すんだよね。第3場が一番対峙するところで、3場でああなるから徹くんは4場で前借りしたお金を叩きつけるように渡す。*1 3場で初めて徹くんの闇に気付くから5場で悟郎ちゃんはああなる。3場の理解が「あの日、僕らは何を失ったんだろう……」という煽りの答えなのかなと思った。

まず悟郎ちゃんが「あの日」「失った」もの。
これは徹くんの信頼・信用・愛。悟郎ちゃんは5場でやっと、徹くんが自分をどれだけ必要としてきて、どれほど心細く生きてきたかを知る。ずっとずっと、ただ待ってた。来てくれることだけを待ってた。なのに自分は電話一本で終わらせてしまった。お金は送った。募金活動はした、しかし渋谷で。徹くんが知る由もない、遠い遠い渋谷で。*2

徹くんは来て欲しかった。何をして欲しいじゃない、ただカラフト伯父さんに来て欲しかった。来て!今すぐ来て!助けて! そうずっと思っているのに、カラフト伯父さんは待てど暮らせど来ない。漸く来たのは鉄工所の親父さんのお葬式の時だった。この時もう徹くんはカラフト伯父さんを憎んでいる。憎んで憎んで恨みが爆発しているから売り言葉に買い言葉のようにこう突き放す。
「あぁ言うた!ここを継ぐって!あんたの世話になりたくなかったからのお!!」
悟郎ちゃんはこの真相を聞いて初めて、自分が「何を失った」のかを知ろうとする。



第1の疑問:震災当時は名前を呼び続けるほど信頼していたのに、何故2年後には「激しい憎悪を抱く」(公式サイトより)ほどになってしまったのか。

待ち望んでいたカラフト伯父さんは鉄工所の親父さんの葬式になってやっと来た。でもその時にはもう徹くんは心を閉ざしている。思うに、あれは徹くんにとって「すべて終わったしまった」タイミングだったのかな、って。お母さん、おばあさん、おじいさん、と大切な人を次々と亡くしてきてもう残るは親父さんしかいなかったのに、とうとう最後の灯火である親父さんまでいなくなってしまった。きっと徹くんにとっては震災から次々に灯火が失われていくような気分だっただろう。あるいは、待ち望んでも待ち望んでも来てくれないカラフト伯父さんも徹くんの中ではとっくに死んでしまっていたのかもしれない。

そして最後の灯火が消えた後でカラフト伯父さんはのこのこやってきた。いや悟郎ちゃんからしたら事情はあるし寧ろ正論とすら感じる(離婚後相手が再婚してたらそりゃあ普通は顔出せない。亡くなったおじいちゃんおばあちゃんもどちらの親族か分からないけど少なくともカラフト伯父さんにとっては他人で、身寄りがすべていなくなった親父さんのお葬式のタイミングがやっと父親に戻れる、徹くんともう一度家族になれると思ったタイミングだったのかもしれない。)*3 けど、徹くんにとってはきっと今更だった。自分が辛い時、怖い時、誰かに守ってもらいたいとき、いっつもいてくれない。口ばっかりで、自分が本当に来てほしい時にはいっつもいない。父親らしいことは一度もしてくれない!(これもカラフト伯父さんとしては、千鶴子さんが生きてた頃まではしてきたつもりだったと思う。「入学式とか卒園式とかは必ず参列して。父親だからな。」って台詞があったはず。でも千鶴子さんもいなくなってしまっては、徹くんの現在の家庭はあまりにアウェイで行きにくかっただろう気持ちも一般論として分かる。)肝心な時にはいつもいない!*4 徹くんのなかではそういう評価になっていたのだと思う。



第2の疑問:徹くんのカラフト伯父さんの評価

「あんたもカラフト伯父さんに騙されたクチか」(第1場)
「何でや?何で嘘泣きしてやらなんだ?あんた、嘘泣きは得意やろ」(第3場)
「あの話聞いたか?銀河鉄道の夜。」「聞いとらんならええ。」「ええって言うとるやろ!!あいつの言うことなんて嘘ばっかりじゃ、嘘八百並べとるだけじゃ!」(第4場)
「(切符代を飲んじまったカラフト伯父さんを見て狂ったように笑って)こういう男なんじゃこいつはー!」(第5場)

徹くんの中でカラフト伯父さんは「嘘泣きが得意」で、人の金で飲みに行くようなクズ男なの?嘘ばっかり(と、徹くんに思わせることをしてきた)なのは徹くんの独白からよく分かるけど、嘘泣きや「こういう男」の表現はなかった気がするので、これはカラフト伯父さんの人となりと察させる表現なのか、いかに徹くんのなかで憎悪になっているかを察させる台詞なのか。



第3の疑問:徹くんはなぜこんなにもカラフト伯父さんを待っていたのか。

徹くんはなぜこんなにもカラフト伯父さんに「来て」欲しかったのか。それは約束したから、なのかな。徹くんの母親・千鶴子さんが亡くなったとき、悟郎ちゃんは小学生の徹くん(「20年近く前かな、徹がまだ小学生だったから。千鶴子の葬式の時に…」という台詞があったはずだから、千鶴子さんは徹くんが小学校低学年くらいの頃にに亡くなったと思われる。)に向かってこんなようなことを言う。
「お母さんは死んだんじゃない、“ほんたうのさいわひ”を探しに行ったんだ」
「今の苦しみも、悲しみも、いつかきっと、何かの役に立つ」
「その時まで、おじさんは銀河鉄道が向かうサウザンクロスのように、ぴかぴか、徹のことを照らし続けてあげるからね」
(台詞はニュアンスで)

カラフト伯父さん、僕はいっぱい苦しんでいるよ、もうこれ以上ないってくらい悲しみが次から次に襲って来るんだよ、これ以上苦しんで悲しんで、これが何の役に立つの?おじさんはその時まで僕をぴかぴか照らしてくれるんじゃなかったの?なのに全然来てくれない、来てくれないから自分の人生はずっと苦しいままだ。と、思っていたとしたら。徹くんは本当にただカラフト伯父さんが自分を照らしに来てくれるのを待っていたのだと思う。来て何が変わるわけでもない。来たらすべてが快方に向かって日々が明るくなるわけでもないのも頭ではきっと分かってる。だけどその時まで(=ずっと、いつでも)ぴかぴか照らし続けてくれると子供の頃のヒーローが約束したから。だから目的はなんでもない、ただ来てくれること、ただ照らしてくれること、励ましてくれること。実益じゃない、ただ父親としての愛をくれること。でも徹くんは待ちくたびれた。待てど暮らせど照らしに来ない。次々悲しみは増えていく。嘘つき。あいつの言うことなんて嘘ばっかりじゃ。嘘八百並べとるだけじゃ。

親父さんが亡くなってしまった時に徹くんはもう照らされることも諦めてしまったのだろう。徹くんが「あの日」「失った」もの、それはカラフト伯父さんという光かもしれない。



第5場。徹くんの叫びを聞いて、悟郎ちゃんはこういう。
「カラフト伯父さん、ただいまやって参りましたーーー!」
「自己破産寸前でぼろぼろだけど、徹のために、今夜、参上致しましたーーーーーー!」
(台詞はニュアンスで)

いや、あんた何日かここに寝泊りしてたやないか。うん、だから物理的には参上したのは今夜ではない。でも今までは何も分かっていなかった。「カラフト伯父さーーーーん!!」って泣き叫んで夜な夜な震えながら待っていた徹くんの叫びに応えるようにやってきたのは、月夜に照らされたあの瞬間だった。(あの鉄工所の屋根には雪が入ってくるような亀裂があるので、独白の時の真っ白な光は差し込んできた月光で、江戸ポルカのあと荷台に寝転んだときは亀裂から月か星か、はたまた見えない銀河鉄道でも見上げているのかな。って。イメージ。)徹のことをぴかぴか照らしてあげるために来たのはこの瞬間だった。徹くんの目的はただそれだったから。自分を照らしに来てくれることを待っていたから。来てくれないと自分の人生は真っ暗のままだったから。でもやっとカラフト伯父さんが自分を照らしに来てくれた。今までいっぱい苦しみも悲しみもあったけど、カラフト伯父さんがぴかぴか照らしに来てくれたから、だから今までの悲しみも苦しみも、いつかきっと、何かの役に立つ、って思えたのかもしれない。*5



第六場の徹くんはまるで憑き物でも取れたかのように非常に晴れやかでポジティブで表情がくるくる変わってまあかわいい。でも実際3人の状況は何も変わっていない。そう、こいつら揃いも揃って崖っぷちなままなのだ。悟郎ちゃんは相も変わらず自己破産寸前、破産手続きしたところでその先の策はない。仁美ちゃんはまだ赤ちゃんの顔も見れていなくて、本当に大変なことはこれから。徹くんだって「まるで墓場みたい」な「住んでる人も町も変わってしまった」「めためた」な町工場に居続けるのは変わらない。実際は何も変わっていないけど、へこたれずにここで勝負していくつもりだと笑う。「佐藤の親父に泣きつかれた!お前がおらんとコンピュータ扱われる奴いてへん~って」「ここで頑張っていくつもりや!」そう語る背中とそれを見守る二人の目はすごく晴れやかなので、この3人は何も変わってないけど確実に変わった未来に歩き出すんだろう。「ほな、行こかーーーーーーーーー!」って。



余談。
私は3回ある徹くんと仁美ちゃんだけのシーンがすごく好きなんだけど、たぶん徹くんと仁美ちゃんって結構歳近いよね。演じていた松永さんも仁美ちゃんがいくつなのか知らないって言ってたけどw
鉄工所の親父さんが亡くなったのは震災から2年経ってからで、その時徹くんはもう二十歳だったそうだから、2005年時点の徹くんの年齢は27~28歳(誕生日がいつかによる)だと思われる。で、一方仁美ちゃんは妊婦だから妊娠するような年齢、でもストリッパーなんてちょっと若くなさそうな商売(若いならキャバかなって)をしてることや悟郎ちゃんの「彼女?みたいな?」ってことを考えると30代前半か、いっても半ばあたりが妥当かなーというイメージ。親父さんが亡くなってあまり人と深く接さず一人で生きてきたであろう徹くんにとって久しぶりに友達みたいな存在に出会えたのかな、と思うと「あんたさえ良かったらここにおったが」(方言の聞き取りに自信がない)と言った時の徹くんの気持ちを想像してきゅんとなります。

結局、銀河鉄道との関連や、「お猿のチンチン電車」については読み込めていませんが一旦こんな感じで。


銀河鉄道の夜』は青空文庫で読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html

 



関係あるか分かりませんが、神戸にある動物園に行ってみました。動物園なのに機関車の模型と子供用の小さな汽車があるの。小さな汽車は全然ぴゅっぴゅーって程度の汽笛しか鳴らなかったけどw

蒸気機関車?!あれ、蒸気機関車よね?」「ウキキィ! 動物園だよ。方角的に間違いない。駅反対だし。」

 

 

*1:「前借り」するには佐藤の親父に頭下げたはずだし、そんなに働きに行ってもいないところで前借りするって相当だし、投げつけるように渡すあたりにつまりこれ持って今すぐ出てけや、ってほどの気持ちになっていることがすぐ分かる。徹くんをそこまで思い至らせたのは3場で悟郎ちゃんが徹くんの地雷を踏みまくったからだ。

*2:ここ、いつも気になってたんだけど悟郎ちゃんは募金箱にお金を入れたのだろうか、それとも募金を募る活動をしたのだろうか。「渋谷で募金もした!できることはやったつもりだ!」という台詞と共に、募金箱を持って頭を下げる動きをする。「募金をした」という言葉からは私は“募金箱にお金を入れた”という意味に聞こえてしまうのだけど、悟郎ちゃんは募金箱を持って頭を下げたのだろうか。それだと、「仕事が忙しかった」「小さな出版社だが自分は社長で、社員は5人。切り盛りするのに必死だった」わりに、募金活動をする時間は捻出できたことになる。(もちろん忙しいだけじゃなくて、交通手段の乱れや、鉄工所の親父さんという家族が居るのにしゃしゃるのも、っていう常識的判断はさておき。)

*3:あと出版社の社長っていうのもそこまで計算してるのかどうか。徹くんが2005年に28歳あたりとすれば、徹くんが幼かった頃は80年代で景気もよくて出版業界もにぎやかだったはず。でも90年代になってバブルがはじけて、2000年あたりで氷河期が来て、出版業界も厳しくなったのかな。いやここ数年の落ち込みがひどすぎて10年前はまだ本売れてたやろ、って思っちゃうけど、少なくとも80年代は景気いいだろうからマイムマイムしちゃったりタップダンス踊ったりエアマジックやる愉快なおじさんだったろうけど、2000年代になったら色々疲れてるだろうし仕事がいっぱいいっぱいだったのは時代背景的なことも含めてるのか…?とか。

*4:それと3場で「あの時、お前を引き取っておけばよかったのか……」という台詞も気になっている。「あの時」 とはいつなのだろう。離婚する時?千鶴子さんが亡くなった時?親父さんが亡くなった時?っていうのが私には分からなかった。どこって思うかでその台詞を言われた後に毛布を投げつけて怒るシーンの印象が変わってくる。でもポイントはそこではなくて、徹くんがなぜ絶望してるのかを分かってくれてないってとこだよね、きっと。捨てられたと思って絶望してるんじゃなくて、その前に思い出すことがあるやろ?忘れたんか?この嘘つき!っていうところに悟郎ちゃんはまだ気付けていない。

*5:そういえば大阪だけ?5場の暗転の時に星空に包まれるような照明になっていた。4場の暗転も溶接の光がきらきら飛び散ってあれも星みたい。そういえば徹くんの名字は星川。星川製作所。