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タイトなパイオニア(1)

ARS Episode

翔くんがキャスターを目指したきっかけは、2003年に親不知抜いて入院したときにレギュラー番組で共演しているアナウンサーさんが別の報道番組で突撃取材しているのを見て「こういうことをしたい」と思ったから。っていうのはよく本人も言っているけど多分これは端折った説明で、これにはもう2つ視点を加えた方が面白いと思う。って私の思い込みの持論だけど。まずひとつは9.11、そしてもうひとつはその時翔くんが大学何年生だったか、ということ。

1.9.11について

翔くんがキャスターをやりたい、とはっきり思ったのは例の親不知事件だけど、そもそもそういうことに興味をもったきっかけとして9.11の影響は計り知れないと思っていて。というか、2001年に学生(小学校高学年~就活前の大学生)だった人にとっては9.11は進路に影響を与えるくらい考えさせられるものだったと思うけど(私の周りにはあれを機に進路を政治系や国際系にシフトチェンジした友人も少なくない)。
 
何でかというと、私は翔くんがそういう真面目な話というか社会的な話をしてきたのはこれが最初だと思っているんですが、

茉莉花 on Twitter: "わたしが思うキャスター翔くんの原点ってこれ。2001か2002のWUだと思うけどこの頃くらいからこういうこと言い始めたイメージ。あと2002のpersonでニューズウイーク読んでるって言ってて、そんで年明けて親知らずで入院からのアレ。 http://t.co/5iNrY5hw5G"

そうそう、高校の歴史の先生が“学生時代は時間があるから旅行をすることと、哲学書を読むことをしなさい”って言ってたんだ。だから、意味わかんないかも知れないけど、哲学書読んでみようかなって。友達とアメリカの同時多発テロのことを話してたときなんだけどさ。オレらの価値観からしたら自爆テロした人たちはおかしいと思っちゃうけど、イスラム社会の人からみたらアメリカの態度が傲慢なわけじゃん。お互い自分たちの価値観が正しいと思ってるけど、ほんとに正しいことって考えたとき、価値観がなんなのかわからなくなってきたっていうのを小学校から一番仲いい友達が言ってたのね。中近東の時代背景とか知らないことも多いわけで、そういうことも含めて、いろいろ知りたくて仕方ないんだ、今。


そんでソロコンでやっていた『Where is love?』に載せていたリリックがこれと同じことを言っているんですね。かつその数年後にその音源を流したSHO BEATで「言っていることは青臭いけど、思っていることはだいたい変わりません」みたいなこと言ってる(ググると当時のラジオの書き起こしいっぱい見つかるからソース欲しい人はググってください)ので、ずっとブレずに持っている軸のはずなんです。あぁ、ZEROでグラウンドゼロに行ってたときにもそんなこと言ってたような…。

2.これらが大学何年生の時に起きたか

このね、9.11と親不知事件が大学何年生での出来事だったかっていうのが一番のポイントだと思うの。
 
大1 2000.04~2001.03
大2 2001.04~2002.03 :9.11
大3 2002.04~2003.03
大4 2003.04~2004.03 :親不知抜いて入院
 
まず9.11は大学2年生のとき。この頃はデビュー2~3年目とかでそこまで仕事もなくて、レギュラー番組もUSO?!ジャパンと嵐音があるだけでドラマもやっと1本2本やってみたくらいの頃。それよりも週5大学に行っててまじ単位取りまくってて全然学生色が強かった、そんな時に9.11があった。
たぶんこの頃はイチ学生の面が強いから普通に学生として興味を持ったはずです。
 
そして、2002年秋ごろになると、翔くんの周囲は就活をし始めます。「これから就活ガイダンスあるけど、お前も来る?」って友達に誘われて「俺もうジャニーズ事務所から内定もらってっから」って答えた、なんて話を笑いながらしてたりするんだけどここでちょっと面白いのが翔くんは結構周りの就活を見てるんですね。ごめん記憶だけで書いてるからソース出ないけど「自己分析の手伝いをした」とか。それ読んでた頃自分はまだ制服を着ている頃だったので全然意味が分からなかったけど、いざ自分が就活を経験するとあの時言っていた意味がよく分かった。自己分析ってこういうことか!と思ったし、これを知ってるアイドルって面白い!と。就活でやる自己分析って結構初めてってくらいに自分に真剣に向き合う機会だし、あれを知っている翔くんはアイドルとして生きている自分の意義や目的をものすごく考えるきっかけになったんじゃないかと思います。何なら、診断サービスくらい受けてそう。
そう、私はこの時翔くん自身も自己分析してると思ってるんですよ。そんなことはどこでも言ってなかったと思うけど。でも就活していく友達を見ているし、そのことについてアイドル誌で話していることも少なくなかった。(と、同時にモラトリアムの終焉*1を意識し始めたような感じ)
 
で、2003年の5月だっけ?に親不知事件です。あの人は学校に遊びにと当時から予定を詰め込みまくってる人だったからテレビもほとんど見てなくて(話逸れるけど10周年前後くらいに「そういやテレビの仕事してるのにテレビあんま見ないってのもどーなんだ、と思って最近はなるべくテレビ見るようにしてる」と言ったのがすっごい興味深かった。やっとか!という気持ちと、あー翔さんが変わるーという気持ちと。大学生の頃は移動中も帰宅してからもテレビつけずにコアな音楽聴いてばかりの人だった。だからラップ方面の変化はめまぐるしくてある意味あの頃はテレビの仕事<コンサート・歌・踊りの仕事という実状だったのかなとも思う。)、そんなわけで落ち着いてテレビを見るという行動をやっとしたのがあの入院期間だったらしいんですよ。入院して初めて、森下アナが報道やってる姿をまじまじと見たわけです。
 
で、まぁそこに、「まだ誰もやってないことをやりたい」という当時のやたらと反骨したがる翔さんの欲求にガチっとはまったのもあり、自分の進路のひとつとしてキャスターというアイディアが浮かんできたんだと思います。そのとき翔くんが見据えていたのは現場を駆けずり回るフィールド記者だけど。 (まさにその道に妹さんが進んでいるというのがなんとも)

だから、なんかいきなり親不知事件が出てきたみたいに見えるけどそうではなくて、あの大学3年生から4年生にかけての時期はイチ学生と同じく自分の未来について考え込んでいた時期だったんだじゃないかな、って。それまでは気がついたら渦に巻き込まれ頭が追いつかないままとにかく走ってみるしかなかったから(しかもまだJr.の頃の学業優先が抜けてなかったのか、1・2年のときめっちゃ大学行ってたからな、あの人。就活するわけでもないのに普通の学生と同じように1・2年にまとめて単位取りすぎてたから、確か1年の時フル単とかだしな)。そこに、考え込むきっかけとなる大きな事件があったこと、それが大学生の進路を決めるタイミングと綺麗にハマっていたことが翔くんをそこに導いた大きな流れのひとつだと思っている。
 
 
…と、いうことをZEROスピンオフを見ていて話したくなってしまったので勢いだけで衝動的に書いた。あんま推敲してないから読みにくいと思うすみません。(1)と題したわりに続きをいつ書くか、そもそもほんとに書くのかも分からないけど、気が向いたらスピンオフの感想みたいなこと書くかもしれない。っていうか例の可愛いだけじゃかっこ悪いの話はいつかまとめたい。
 
それにしても将来、社会派キャスターのパイオニアなんてとんでもない未来を作る重要なきっかけが「親不知4本一気に抜いたら顔パンパンになりすぎてテレビにも出れる顔じゃないから収録欠席」っていうのがどうしても笑ってしまう。親不知抜くのに全身麻酔で4・5日入院ってどんだけだよ。試験期間と連ドラが重なって1週間で睡眠時間10時間くらいでシャワー浴びながら立ちながら寝てしまうような極限で全力疾走してた人が、顔がパンパンすぎてなまあらしに出られませんって電話してきたときの情けなさは一生ネタにしてやる。どんだけパンパンだったのか、いっそ出てほしかったよ。

*1:私は「モラトリアムの終焉」という言葉がすごく好きなんだけど確かこれは『きみはペット』のどっかで出てくる。