2016年の紙面の伊野尾くんを振り返る

いや~~~買った。

今年はほんと買った。たぶん、2006~2007年か*1、2009~2010年*2レベルで買った。いやあれ以上かもしれない。てことで今年の伊野尾くんの雑誌仕事を振り返ります!
 

いのおくん 今年も1年お仕事お疲れ様 〜2016年の雑誌のお仕事総まとめ〜

 
と言っても正直ちょっとした記事もあげていたらキリがないので、ドル誌や連載とJUMPで載ったやつは除いた。また現場のオフショット的なのは端折って、ちゃんと取材を受けてるものに絞った。ただし、テレナビとテレナビスマイルみたいなこれ1つの取材だよねっていうのをそれぞれカウントしているものもあるしQlapや女性自身はオフショット系だけど含んでしまっているし漏れもあるかと思うので、まぁなんだろ、私が買ったやつ一覧ですね!いや実際オフショット系も買ってるから本当はもっともっと買ってるよ………
 
あと、これをまとめる上で我らがinfoさんを時系列確認にお借りしました。いつもお世話になっております本当に心からありがとうございます!!!!!!!!!!!!!お歳暮かお年賀送らせてください!!!!!!!!!!!!!!(ここまで一息)
 
ではいきます。
★表紙
☆ソロではなく他のメンバーもいる
※ソロではなく他の役者さん等もいる
 

2016.01

27日 『STAGE SQUARE Extra'16』 今回の選抜基準的に入れていいのか微妙なやつだけど、1月これくらいしかないから早速例外しちゃう。*3
 

2016.02

24日 『ザテレビジョン』No.9
24日 『TVガイド』2016.3.4号
 

2016.03

19日 『月刊ハウジング』5月号
26日 『ザテレビジョンZoom‼︎』vol.24
28日 『ChouChou ALiis』vol.10 ★
31日 『Hanako』No.1107
 

2016.04

6日 『TV LIFE』No.9
13日 『週刊ザテレビジョン』No.16 ☆JUMP全員+単独ページ
15日 『QLAP!』5月号 ★
20日 『mina』6月号
22日 『ニコプチ』6月号
24日 『TVfan』6月号
28日 『TVfan CROSS』vol.18
30日 『STORY』6月号
 

2016.05

18日 『週刊ザテレビジョン』No.21
18日 『TV LIFE』No.12
20日 『エンタミクス』7月号
23日 『CanCam』7月号
24日 『TVnavi』7月号
24日 『月刊TVガイド』7月号
 

2016.06

6日 『ザテレビジョンCOLORS vol.23 RAINBOW』
7日 『女性自身』
8日 『週刊ザテレビジョン』No.24
9日 『TVガイドPERSON vol.46』
15日 『QLAP!』7月号
15日 『TVstation』 ※対談(米倉さん)
15日 『週刊TVガイド』☆JUMP全員+対談(そし誰)
20日 『non-no』8月号
23日 『VoCE』8月号
24日 『TVfan』8月号 ☆JUMPさん+対談(米倉さん)
24日 『月刊TVnavi』8月号 ※対談(米倉さん)
24日 『月刊TVガイド』 ※対談(米倉さん)
24日 『月刊ザテレビジョン』 ★☆裕翔・伊野尾
27日 『ザテレビジョンZoom!』vol.25
27日 『TVガイドPLUS』vol.23
27日 『TV LIFE Premium』vol.18
28日 『NYLON JAPAN』8月号
29日 『NHKウィークリー ステラ』 ☆八乙女・伊野尾
29日 『週刊TVガイド』 ※単独ページ+対談(米倉さん)
29日 『週刊ザテレビジョン』No.27 ※対談(そし誰、米倉さん)
29日 『TV LIFE』 ※対談(米倉さん)
 

2016.07

4日 『TVfan CROSS』vol.19 ☆薮・八乙女・伊野尾+単独ページ
5日 『週刊朝日』 ★
13日 『TV LIFE』
14日 『ザテレビジョンCOLORS vol.24 GOLD&SILVER』
20日 『週刊TVガイド』 ☆薮・八乙女・伊野尾
20日 『週刊ザテレビジョン』No.30
23日 『TVfan』9月号
23日 『SODA』9月号★
23日 『月刊ガイド』9月号 ☆薮・八乙女・伊野尾+単独ページ
25日 『H』★
27日 『tv station』16号 ☆薮・八乙女・伊野尾+対談(そし誰)
28日 『MORE』9月号
 

2016.08

9日 『MEN'S NON・NO』9月号
9日 『FINEBOYS』9月号★
 

2016.09

15日 『QLAP!』※めざまし密着
23日 『ELLE girl』11月号 ★
23日 『SPUR』11月号
24日 『月刊TVnavi』11月号 ※めざまし密着
 

2016.10

1日 『日経Health』11月号
15日 『月刊Songs』11月号 ☆八乙女・有岡・知念・伊野尾
20日 『東京Walker』★
20日 『横浜Walker』★
20日 『東海Walker』★
20日 『福岡Walker』★
25日 『関西Walker』★
28日 『装苑』12月号
 

2016.11

3日 『千葉Walker』★
10日 『Mgirl 2016-2017 AW』
19日 『東京Walker』
22日 『anan』2030号★
 

2016.12

珍しく?何もなかった。お察し?wいや、JUMPではいっぱいあったからね!と言うことにしましょう。
 
あとこれは端折ったけど8月くらいにピーチガールのキービジュ公開で映画誌5誌くらい買ってるからねwこれ全部買ったらいくらになるか調べようと思ったんだけど途中で頓挫してしまった。でもね、あれこんなもんかーって程度の額でしたよ!11月くらいで4万後半だったかな…あと、ドル誌5誌とwithで月4000円くらい?が12ヶ月で………うん、まあだからやっぱ月1万くらい買ってたのかな( ◜◡◝ ) うん、今年買ったね、頑張ったね( ◜◡◝ ) 
 
最後に自分的今年の伊野尾くんフォトジェニック大賞して〆ます。
 
第5位  『Mgirl 2016-2017 AW』
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ニナミカ様に撮って頂いたのに第5位止まりという2016年の贅沢ぶり。私はこの2つが好きです。
 
第4位 『ザテレビジョンCOLORS vol.23 RAINBOW』
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金魚越しのいのおさん、かんわいい!!あとこの衣装ほんと何冊も見たよね…7.8冊あったよね…分刻みの撮影、お疲れ様っす…の想いを込めてこちらが4位です。しかし分刻みなのにこの衣装の日、どれも美しかったからすごい!
 
第3位 『装苑』12月号
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装苑に…!撮って頂ける日が!来るなんて!!どれも素敵だったけど、私はこのページが好きかなぁ。
 
第2位 『anan』2030号
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装苑が決まった頃、「anan来るのも時間の問題かしら…」なんて言ってはいたけど。ほんとに来るとは。それもSEX特集じゃないし〜って鼻ほじってたら全然エロかったっていう。私は結構このページが好きでした!男の子!!
 
第1位 『SODA』9月号
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2016年、「この雑誌に載るの?!ピャーーーやばーーー!!!」って大騒ぎするような雑誌にたくさん載せて頂いたのに、そんな名だたる雑誌たちを押さえての第1位はやっっっぱりこれだよね。いやー!ほんとまさかのSODAに一番いい意味で裏切られた。まさかとか言ってごめんけど、本当ここまで作り込んでくれると思わなかったから衝撃がすごかった!ありがとうSODA!!
 
と、いうわけで、もともと紙媒体厨なのでとっても楽しくて有難い1年でした。ありがとう2016年!ありがとう出版社のみなさま!来年は10周年イヤーということで9人での雑誌仕事が多いのかな?と思いながら、今から財布を潤していく心構えなので、来年もよろしくお願いします!
ということで今年1年みなさまお世話になりました。良いお年を♡

*1:ハチクロ~木更津~黄色い涙公開にかけて元担櫻井さんはサブカル各誌連載状態だった。櫻井担雑誌出費べらぼうに多くね???って思ってた、冊数調べてないけど。

*2:嵐の10周年のとき。あの時もあほほど雑誌に載ってた。

*3:カラフトで一回雑誌ラッシュがあって、そこからしばらくは2015年10月に『Hanako』No.1098があって、10月からWithの連載が始まり12月にいのありで『CUT』くらいのゆるい感じだった。

Hey! Say! JUMPの“メンバーカラー”の変遷を分かる限りまとめてみた

これな~JUMPの話をするのはなるべく避けたいんだけど、嵐の書きながらJUMPもやっとかないとなんだかなという気持ちになったので自分が分かる限りでやる(TwitterでのリアルタイムなJUMPの話はまだいいんだけど、語りめいたものは緊張する、永遠の新規だから)。嘘や間違いあったら本当ごめんなさい!あやしいところは書かないで(だから前半は内容薄い)、ちゃんと知ってる範囲に留めたいとは思ってる!

 

~分かる限りの衣装変遷~

デビュー前

・KinKiの衣装を着ることも多かったせいか、やぶひかと言えば赤青のイメージ
薮:赤
光:青

 

2008年

・BESTコーナーで5色の衣装があったりちょいちょい色分けされた衣装はあるけど端折る

 

2009年

・NYC発足。NYCには明確にメンバーカラーあり。
中山:青
山田:赤
知念:黄

 

2010年

2011年

・JUMPはメンバーカラーを作りたくない発言(会報Vol.6)*1

有「でもさ、やっぱりメンバーカラーは決めたくないよね」*2
知「そう。一度決めたら毎回衣装とかその色になっちゃうでしょ?」
薮「それに10色となると、単色だけじゃ無理がある。中間色とかも必要になってくるでしょ?」
中「ライトブルーとか」
有「黄土色とかも出てくる?」
森「あはははは!」

 

・『Magic Power』のMVで9色の衣装。

山田: 赤
知念: ピンク
中島: 黄色
岡本: 水色
有岡: オレンジ
髙木: 紫
伊野尾: 青
八乙女: 黄緑
薮: 緑
 

・次これ、初登場がいつか知らないんですよね…2011のサマリーで何人か着てるからとりあえずここに入れるけど私的には2012正月やGWの紗幕のシャドボのやつ。

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山田: オレンジ
知念: ピンク
中島: 黄緑
岡本: やぶよりは薄い紫
有岡: 赤
髙木: 緑
伊野尾: 濃い水色
八乙女: 黄
薮: 紫?群青色?*3

 

2012年

・折鶴衣装がちょっと9色気味

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山田: 赤と白
知念: ピンク
中島: 青
岡本: オレンジ
有岡: オレンジと白
髙木: 黒
伊野尾: 紫
八乙女: 黄緑
薮: 金*4

 

2013年

・『全国へJUMP』ツアーのアンコールで9色の衣装

f:id:malika5:20161206103342p:image
山田: 赤
知念: ピンク
中島: 水色
岡本: 黄緑
有岡: オレンジ
髙木: 青
伊野尾: 紫
八乙女: 緑
薮: 黄色

 

・フィルフェスはマジパ配色
グリーンバックの撮影なので緑が着れないやぶひかを除き基本マジパ配色の衣装。要するにツアーとフィルフェスは同時期にもかかわらず、ちびーず以外ツアーと色味が違う。

中島: (ツアー)水色/(フィルフェス)黄色
岡本: (ツアー)黄緑/(フィルフェス)水色
髙木: (ツアー)青/(フィルフェス)紫
伊野尾: (ツアー)紫/(フィルフェス)青
八乙女: (ツアー)緑/(フィルフェス)黄緑なので着れない
薮: (ツアー)黄/(フィルフェス)緑なので着れない

これ結局マジパはメンカラなのかどっちなんや!と正直気になっていた。

 

2014年

・『Live With Me』(5月のドームコン)を見に来たオークラクンに「JUMPは人数が多いから全員同じ衣装だと誰がどこにおるんか分からへんなぁ。俺らも7人で多いから、だから衣装をメンバーカラーにして分かりやすくしとる。」的なアドバイスをもらう。*5

・『smart』(夏コン)ツアーで去年の衣装を入れ替えてまで早速メンカラ演出wwwww 従! 順! JUMPwwww 髙木⇔伊野尾の衣装を交換、八乙女・薮・岡本もシャッフル。*6

f:id:malika5:20161206100622p:image
山田: 赤
知念: ピンク
中島: 水色 
岡本: (黄緑→)緑
有岡: オレンジ
髙木: (青→)紫
伊野尾: (紫→)青
八乙女: (緑→)黄色
薮: (黄→)黄緑
()内は衣装交換する前の元の色。いのたかは衣装交換はしているけどマジパの色に戻った。

とまあ安定のちびーずを除き結構入れ替えが起きたのだけど、マジパはなぜあの配色で、今回はどうしてこの配色になったのだろう。これについて語られたあります?*7でもこのタイミングで戦略的にお前この色!って決めてきたのは間違いないだろうなぁ。なるほど確かに裕翔くんは水色だわ!と思ったし、ひかちゃんも2013年のツアーのせいか*8黄色のイメージもあったし、名前的にも顔にも雰囲気にも黄色似合うなってなんか納得した。伊野尾さんはやっぱり青か~!と。紫も似合ってたけどね。でも雄也は青より紫だね。

・リトラの初回(10/8)の衣装や、いたジャン(12/30特番)の衣装がsmartのメンカラ。

 

2015年

・ワクワク学校の制服といい、CARnivalの衣装といいマイクの色といい、いたジャンといい、お揃いのブレスといい、9色に分けたらsmartのメンカラで完全に例外なしくらいの勢い。*9

・そう、嵐で散々気にしていたマイクのおしりの色は、少なくともCARnivalからはメンカラになっている。それまでは気にしてなかったから誰が何色かは分からないし調べないけどsmartまでは全然違う。

・話は逸れるけど、CARnivalから完全お揃い衣装がなくなる…。微妙に型違いシリーズになる…………そっか、予算増えたね…。*10

 

~総括~

「JUMPのメンバーカラーはいつ決まったんですか?」と聞かれたら、私は「smartからです。」と答えます。そしてオークラクンに思いを馳せる。

\オークラクンオークラクン!どこいくんすかオークラクン!トイレっすかオークラクン!/

 

 

2017.03.24 追記

文中に出してるの、一覧化した方がよかったかしらと今更思ったので、表にしたやつ追記します。

折鶴はどうしても圭人もオレンジ、大ちゃんもオレンジにしか見えない。そしてあの謎のナポレオンジャケットは勇気コンで着てたっぽいので順序入れ替えました。

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*1:NYCと差別化したかったのかなという気もちょっとする

*2:でもこの座談会の中でしつこく「オレンジ取られた〜!」「(大ちゃんは)オレンジって言ってほしかったんだよね」ってアピールしてるw

*3:あの色、薮も圭人も紫って言いたくなるんだけどなんて言ったらいいんやw

*4:薮様が金色って最高じゃない????

*5:そういえばめっきりオークラクンとの絡みなくなって寂しい……

*6:オークラクンの意見あっさり採用しているwっていうかLWMには潤とか色んな先輩が見に来てくれていたからその辺の意見も踏まえているかもしれないね。ドームで全員同じ衣装だと確かに不親切だし。メンカラ作りたくないやら、型が全く同じ方がダンス揃って見える発言はどこへwとツッコミたくもなるけどガチで踊る演出の時はお揃い衣装を使うし(でも背中にはイニシャル入れるお直ししたりしてwwww)、いいとこどりの折衷案っていうか拘るところはブレずに貫き染まるところは染まる葛藤みたいなのが見えて私はsmartコンが好き。だがBESTコーナー、おまえだけはだめだ。

*7:大ちゃんが最近の雑誌で「オレンジが好きだから、メンバーカラーがオレンジって言われた時嬉しかった」って言ってたね。で、その言われた時っていうのはいつなのかなあ!この時かなあ!気になるなあ!

*8:BOUNCE衣装の印象がえらい強くて、黄色って言われてもむしろ前の色何でしたっけくらいの納得感あった、私は。光担は違うかもしれないけど。

*9:ワク学の寺小屋JUMPのイラストはマジパ配色ぽかったけどね。

*10:返す返す、全国にはBefore感をすごく感じる。全国とsmartとCARnivalの間にはそれぞれぶっとい線が引かれている気がするなぁ。

嵐の“メンバーカラー”の変遷を分かる限りまとめてみた

嵐のメンバーカラーっていつの間にこんなオフィシャルな扱いになったんだ???

というのも、私が知る限り嵐は最初からメンバーカラーを推していたグループではない。いつの間にやらヲタクの間では暗黙の了解として広まり(ここ!あくまでヲタク先行だったと思う。公式以前から騒いでいたのはヲタクのほう)、そのうちに雑誌やテレビでもそう扱われるようになり、いつしか5色に塗り分けられたものが目の前に出てくればメンバー自ら何も言わずに“自分の色”を手にするようになった。極めつけは2014年のツアー『THE DIGITALIAN』。「今から嵐のメンバーが皆さんの近くに行くので、お手持ちのファンライトを近くに来たメンバーの色に変えてください」とご本人様が言うのだ。

メンバーの色って何だよ!いや知ってるけど!知ってるけどそれいつ決めたんだよ、いつお前は何色担当だよって言われたんだよお前らよおおおおお!(エアーで肩掴んで揺すりながら)

…と思ったら 

「ゆうても嵐の色って言ってみんなが分かるとも限らないから改めて自己紹介しましょう。」

「緑と癒し担当してます♪相葉雅紀です♪」

「嵐の赤とラップ担当してます櫻井です」

「わたくし、青担当大野智です。海が好き!釣りも好き!」

「お金大好き!黄色を担当してます二宮です」

「コンサートの演出やってます、紫担当松本です」

くぅっ!完璧だ!キャラ活かしてる抜かりない流石!!…ってそういうことじゃなくて!

なので時系列にメンバーカラーの歴史を辿ってみようじゃないか!…とデジの後意気込んだの、ほんとに。でも年明けてすぐ今の自担*1が忙しくなりすぎて一回頓挫した。

でも今年の春ごろたまたまこちらのをエントリーを拝見しまして(勝手に貼ってすみませんm(_ _)m)

マイクテープから考えるにのみやくんと青の親和性 - 愛がたどりつく場所bi9rii.hatenablog.com

そんでこの下書き思い出して、折角だからやりかけてたこれ完成させようかな~という気になって少し書き足したのにまたやる気をなくして春が過ぎ夏が過ぎ今は冬ですw私はやるならやるでもう少し鮮度を持とうね。。でも折角だから完成させるよ!

 
***
 

~分かる限りの変遷~

 ※ソースは私の記憶と史実(写真やDVDに残ってるやつ)
 ※網羅した史実ではなくて、思いつくところだけピックアップしたやつなのでご了承ください

 

2000年

・ファーストコンサートの際、イヤモニとマイクのテープ(誰のマイクかを見分けるためにマイクのお尻部分につける目印。最近のは既に埋め込まれている)を決める際、好きな色を選んでいいと言われ*2、以下の色を選ぶ。
大野:ピンク
櫻井:オレンジ
相葉:黄緑
二宮:青
松本:水色
※当時は多分、ただのカラーテープ貼ってるだけ。黒いマイクに対して目立たせるためだろうか、パステルカラー多め。
 
・「お受験戦隊嵐」という番組コーナー(『ガキバラ帝国2000』という番組で数ヶ月に渡って放送されたレギュラーコーナー*3)でレンジャーコスをする。割り振りは以下。
大野:青
櫻井:赤
相葉:ピンク ※本人曰く「桃レンジャー」 間違ってもピンクレンジャーではない。
二宮:黄
松本:緑*4
※1で後述
 

2001年

・『Join The STORM』(2001-2002冬コン)で印象的なふわふわもこもこ衣装の振り分けは以下
大野:ピンク
櫻井:水色
相葉:緑
二宮:黄
松本:オレンジ

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↑DVDなのに画質わるぅ(オルナシから拝借)
 

2003年

・『How's it going?』(夏コン)の中で一番目立つアフロの衣装が現メンカラで割り当てられる。
大野:青(と水色)
櫻井:赤
相葉:緑(と黄色)
二宮:黄(とオレンジ)
松本:紫

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※2で後述
 
・でも『Live is hardだからHappy』(2003-2004冬コン)の振り分けは全然違った。
大野:紫
櫻井:ピンク
相葉:緑
二宮:黄
松本:水色
f:id:malika5:20161206102055j:image
↑そこはかとなく非公式感あるけど当時のツアー公式グッズのライブフォトさんだよお
 

2004年

2005年

・『One』の公式うちわの裏面デザインが現メンカラの5色に塗り分けられる。
大野:青
櫻井:赤
相葉:緑
二宮:黄
松本:紫
※3で後述
以下、この上記原色5色の配分を「メンカラ」と表記します。
 
・でもメンカラじゃない衣装も存在する。
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あとこのツアー、MC中衣装の色で呼ぶの流行ってた。「そこの黄色くんがさぁ」とか。
 

2006年

・THE SHOWのテーマカラーはと黒で、3104は水色と黒
 
・確か*5、『ARASHIC~』から潤のマイクが紫になる。ここ、割と私の中で太字。潤はこの頃には自分の色は紫だという意識を持っているはず。
参考)

 ※潤が水色じゃなくなったから押し出しでにのが途中で水色になった気がしていたけど、青が水色に見えてただけかもしれない。適当なこと言ってすみません。
※あと、智がいつピンクから赤になったか知らない。
 

2007年

・『Time』の通称“剣山”衣装*6の振り分けは以下
大野:緑
櫻井:ピンク
相葉:赤
二宮:水色
松本:黄
でも一方でメンカラ衣装も存在する。
※4で後述
 

2008年

・『Dream "A" live』のグッズのいも虫キャラがメンカラの5色になっている。

・双子参戦とかが流行り出したのがこの年かその前後か…くらいだと思うけど双子をする時には皆もうメンバーカラーで揃えていたはず。あと確かこの頃、kitsonのバックをメンカラで揃えてうちわバックにするのが流行った。

・でもメンカラどおりじゃない衣装も混在する。(国立のOne Loveの時のバンダナみたいな柄のジレとか)

 

2009年

2010年

・「I love Chiba!」とかのあの衣装がメンカラ割振りなことを考えるともうだいぶオフィシャルになっていた気がする。

・フォロワーさんと話していてもしや!ってなったんだけど、ツアーの会場限定グッズが始まったのがこの頃だ!2009年の『5×10』から会場限定グッズが導入され5大ドーム+国立の6パターンのグッズが製作されるようになったんだけど、5×10の時は例の5色じゃなくてオレンジとかピンクとか色々だったんだよね。でも、2010年の『"Scene"~僕の見ている風景~』から例の5色(国立が金色、5大ドームが5色)展開になりました。*7

 

2011年

・この年のツアー『Beautiful World』は震災の影響で東京ドーム公演ができなかったので、国立+4大ドームで5色の会場限定グッズ。

・東京ドーム公演が出来なかった代わりに行われたワクワク学校の白衣の縁取りやエンブレムがメンバーカラー。各授業に入る時の映像にも使われているし、この頃には意欲的にメンカラ演出がされている印象。

 

2012年

・華嵐で「東京タワーが嵐色に染まります!」と報道される。 ※報道でこう表現される、ここ太字。

・この年からアラフェスが始まるのでツアーは5大ドームのみになります。つまり会場限定グッズが5色展開で完全固定。

・とはいえ、この年のツアー『Popcorn』のウォータースクリーン演出の時、微妙に(潤だけだっけ?)ライティングがメンカラと不一致。これ私的超トラップ。 

 

2013年

2014年

・『THE DIGITALIAN』のファンライトがメンバーカラーの5色に切り替わる

・先の発言

・デジといえば心拍数の表示だけどあれがまずメンカラ。名前の表示なんてどこにもなくて、ただメンカラ。

・(潤を除き)ファーコンからBLASTハワイまで変わらなかったマイクの色が、DIGITALIANからいよいよメンバーカラーに統合される(個人的には超エポックメーキングな出来事)。これはスタッフさんもその方が処理しやすいのかな、という推測。

イヤモニはいつどうなってるかもうよく分かんないから深追いしない!気になる人は調べて!

 

2015年以降は省略

~以下蛇足の所感~

  • ※1 お受験戦隊について

お受験戦隊自体は4ヶ月くらいしかやってなかったコーナーだったのに、私の中ではこれがずっとイメージカラーでした。年上2人が赤と青の2大リーダーカラーでカッコイイ!と思っていてすごくお気に入りだったからかもしれない。*8
が、2002年、嵐は第一の変革を迎えます。そう、松潤のキャラ変え。♪今更キャラ変えってそれあなたね~ 遅すぎたけどできたあなたへ~

 
  • ※2 How'sについて

たとえばラキメンだって5色展開の衣装だったけど、あのアフロの衣装を見たとき、全力で思った。

こ、これや!!!!!!!!!!!!!!

もうスコーーーーーーーーン!とはまった。基本的にはお受験戦隊の時の色なのに、お受験戦隊で緑だった松潤が紫に、お受験戦隊でピンクだった相葉ちゃんが緑になっていた。これがびっくりするほどすとんと来た。なるほど、キャラ変えしてしまった松潤はもう「亀」ではない。よって緑は似合わない。別に「亀」だったから緑が割り振られたというわけではないというかお受験戦隊が何故あの割り振りだったのか聞いたこともない。ただ、キャラ変え後の松潤に色を割り振るなら、どう考えても紫!!!である。あ!これ大正解!そうだよ松潤は紫だ!はぁ~スッキリ!
そしたら空いた緑を誰かに割り振らないと。………うん、桃レンジャーだよね。桃と赤似てるしね。イヤモニ緑だしね。それに相“葉”じゃん!葉じゃん!いやむしろ相葉ちゃん緑しかないじゃん!!!はぁ~スッキリ!!
………という意味が分かるような分からんような理論でここで私の中ではFA出たわ!と思った。あくまで私個人の話で当時のおたくがどういう世論だったか、もう覚えていない。というかそんな話をしていた記憶もない、誰もメンカラなんて今ほど気にも留めていない。

 
  • ※3 Oneのうちわについて

その後もLive is hardは全然違う色味だったり安定しなかったんだけど、Oneでまたあのテアゲロの割振りが帰ってきた。今までのメンカラはあくまで衣装の話だったのに、これは公式うちわの裏面でグッズとして手元に残るものであり他とは訳が違った。そもそもうちわなんて今まで全員同じ柄が当たり前だったのに、そこから明確に5種に分けてるんだもん!正直、名前うちわより顔うちわより寧ろ公式の裏面向けてるのが一番目立つやん!て感動した、前にデザイナーがTwitterでその辺わざわざ主張してたのがなんかちょっと………だけど。でもOneの裏面はよくあるフルネーム表記じゃなくてイニシャルだったじゃないすか。嵐担にとってamnosってすごく大事な記号で、その「s」とかを全面に押し出したデザインの背景色が5色に分かれてるなんてもう象徴的過ぎて、これはやはりテアゲロの色味で行くんだな~とここで確信した。あくまで私の話。

 
  • ※4 わざと衣装をメンカラ固定しなかったことについて

この時、当時の自分のブログ見るとこう言っている。

しばらく赤見てたのに相葉ちゃんだったよ!紛らわしいから変に変えないでほしい

アリーナクラスに慣れ切っていたので、ドームになったこの年、正直色を頼りにしていたところはありました。ドーム・国立クラスになると、色があるとまあ助かるなとは思いますね。おたくとしては腕が鈍ったなって思うけど。(フォルムや踊り方の癖で自担を見つけたい)

 

~総括~

「嵐のメンバーカラーはいつ決まったんですか?」と聞かれたら、私なら「Oneからです。」と答えます。理由は、うちわの裏に採用するっていう公式感。でも感覚的にはハウズからだと思うし、本当の意味で公式*9になったのは、あ~もう嵐売れたわ~完全に売れきったわ~って思ったくらい(いつだよ)からかなあと思っていますがいかがでしょう。いやドリアラあたりでもう公然だったっけどうだっけ…。何度も言うけど、おたくの間では遅くとも凱旋(2007)くらいの頃には定着していたはず。いも虫もふっつーに受け入れたし、友達からお土産とかもらうとき大体赤かったし、隠語として「あなた何色?私、赤」みたいな会話も成立した。

そもそも、昨今のアイドルグループにおけるメンバーカラー推しを定着させた第一人者は女子ドル(っつーかももクロ)あたりだと思うんですよ。ジャニに限ればエイトレンジャー。いやスマも音松カラーやビストロカラーをおたくはメンバーカラーと呼んでいたし、もっと言えばシブがき隊とか少年隊とかもっとメンカラごり推しだったよね?って考えると全然昔からあるんだけど、昨今のどのグループもこぞってメンカラを内外に主張する文化は近年急に盛り上がってきたトレンドな気がしている。*10

そこらに比べれば嵐なんていくら何となくの見解をおたくが共有していたと言っても本人たちがそんなこと明示してきたこと00年代には一度もなくて、だから昨今のアイドルのように戦略的に推してきた人とは違う。嵐はそのトレンドに乗っかったに過ぎなくて、なんとなくの通念が公式に逆輸入されたのが嵐のメンカラの歴史だと思っている。

 

結論は、「嵐のメンバーカラーは自然発生で、起源は曖昧です。衣装は必ずしもメンカラではありません。しかし今となっては本人たちが明示的に発言しているので公式にこれがメンバーカラーです。」が解答かもしれません。

*1:ブログでは何度も申し上げてますが、重ね重ね私は現役嵐担ではありません。外野がわーわーごめんね~。

*2:ソース不明。こういう話だった気がするんだけど、私の妄想…?wだったらまじごめんなさいw自分でその色を選んだのかどうかって結構キモだよね。

*3:ついでに言うとこの番組、スタジオはタッキー・山Pをはじめとする東ジュの方がぶっちゃけ扱いが良く、この辺も「え?結局嵐ってデビューなん?ユニットなん?どっちつかずで浮いてね?」な当時のA-Friends感の一端。

*4:当時は松潤=「亀」いじりがポピュラーでした。これが、緑レンジャーになった由来かどうかは知らんw

*5:私は元櫻井担なので他メンのことははっきりと覚えていない。「そういえば」「気がついたら」こうなってた、っていう記憶がほとんどです。

*6:“剣山”で通じると思ってるんだけど、通じるよね?w

*7:5×10の時、何でオレンジきたこれ!紫ないんかーい!ってズコーッしてるのが運営に伝わって、5色展開が採用された疑惑。

*8:どうでもいいけど私はこのデビュー当時の山が支柱を担ってる感じがすごく好きでした。華や人気や経験値は断然風っこで嵐は風がフロントのグループだと思うのに、シングルのソロパは圧倒的に山中心で、華の風っこに対し技術的に山が支えてるような感じがものすごく好きだった。デビュー当時のセクゾンも似たような感じというか逆のイメージというかを感じてたなぁフロントに据えられる弟組とそれを経験と技術と人気で支えるふまけん。

*9:メディアのテロップや座談会の名前の表示に使われたりすること

*10:メンバーカラーで検索してたら2011年のこんな記事が出てきたから、やっぱり10年代の流行りなんだろうな。 戦隊モノ、アイドル…、グループにおける色と役割の関係|エンタメ!|NIKKEI STYLE

“あの頃”の翔くん ~タイトなパイオニア(4)

憶測の域を出ないけど、桜井翔*1滝沢秀明という人はたぶん合わない。お互いdisりはしないしたぶん因縁もないし感情的なものでもない、ただ何となく、合わない。私が初めて『素顔2』のビデオを見たとき、もう嵐はデビューしちゃってたんだけど、改めて「やっぱこのメンバーではデビューできないわ」って思った。あのベガス旅行では完全に滝沢・相葉チームと桜井・二宮・松本チームに分かれてしまっていた。時々ニノと潤は滝沢チームと絡んだりもするんだけど、必ずどちらかは翔くんのそばに残る。滝沢・相葉と翔くんは会話をしても非常にぎこちない。このぎこちなさは時間が解決するものでもなかった、きっと。絶対。あの夏、何があってあの5人でラスベガスに行き、その後何があって今の5人でハワイに行ったのか、その本当の意味なんて私は知らない。ただ、あのままあの5人でデビューは絶対無理だったのは分かる。

 
 
2002年の冬にnonnoで滝沢と今井翼と翔くんの3人の対談があった。*2
ちょうどその代が成人するからなんだけど、びっくり案件としてよく覚えている。アイドル誌でもなく当時嵐が連載やってたSeventeenでもなくnonnoってのもびっくりだし(当時はファッション誌に載るとかすごくレア)、ヨコとかも交えずこの3人だけの対談ってことにちょっとどきどきした。その頃、滝つはまだジャニーズJr.だった。ジャニーズJr.も含めて成人記念の対談を組むならすばるやヒナやヨコだって呼んでもいい。まあ?そもそも明治神宮での成人式に出てるのもこの3人だけなのでまあそりゃそっか、って話でもあるのだが。だがだが、「え、どんな話するの…?翔くん話せる?滝つだけの対談の方がよくない?」と不安になった。それくらい、そわそわする組み合わせだった。
 
 
このnonnoの対談が読みたくて古いファイルを引っ張り出したのだけど、そこでもっと面白い記事を見つけてしまったのでそちらを紹介したい。
 
1つめ。
何の切抜きかも分からなくて、ピカンチの宣伝で5人で載ってるんだけど。そうそう、学生時代の翔くんってこういう人だったのよ、っていうすごく純度高いやつ。
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2つめ。
時代丸出しで恥ずかしいんだけど、謎のネット記事のプリントアウトwwwwwwプリントアウトてwwwってツッコミは2003年という日付で許してくださいw*3 これが何のインタビューでいつの記事かも分からないけど、よい子の味方関連の何か。これも学生時代の翔さんがよく分かる良テキストです。
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このね、「染まったら負けだ」っていう翔くんがすごい好きだった。
 
 
なんでそんな戦闘モードでここにいんだよ、嫌々やんなくていいんだよ、ってJr.時代の翔くん嫌いな人もいっぱいいたと思う。若かりし翔くんは2秒だか3秒だかでキレると評判wの血の気の多い人だったわけだが、そのキレはヒステリーではなくだいたい理屈があって、例えばこの記事に書いてあるように家の周りや学校に押しかけるとか、それで学校内で変な風に絡まれたり、友人の態度が変わっていったりっていう二次災害だったり、そういうことにずっとピリピリしていたのも原因の一つだと思っている。10代の翔くんってどこにいても異邦人だったんですよ。やっぱジャニーズ内でも異質だし、高校の友達にも「お前は俺だから仲良くしてるの?それともジャニーズJr.の桜井翔だから仲良くしてるの?」とか思ったり。そんなこともあって、あの頃の翔くんは心を許した人にはすごく愛情深いけどそれ以外に対しては警戒心が非常に強く、そういう線引きがはっきりしてる人に見えた。(そしてそういう気の強いところがカッコよくて好きだった)
 
 
ちなみにだけど、こうやって自分が自分でなくなるのが嫌だってガチガチに武装してるようなあの頃の翔くんだけど、今は当然そういうのはない。恐らく、翔くんは枠組みから逸脱することを恐れる保守的な人だ。(なんせ「ステージ上終身雇用」。石橋を叩いて渡る前に叩き過ぎて割っちゃうタイプとか自分で言うし、誰もやってないことやりたがるのも同じことしてたって生き残れないという不安からくるものであって裏を返せばビビリというか安全思考。)
あの頃翔くんの世界は高校生でそして大学生だから、芸能人の価値観に染まって、普通の高校生の、大学生の価値観が分からなくなってしまうのが怖かったんだろうね。でも大学を出て、周りにもテレビ局やお堅くない職業に就職した人も出てきたからなのかなあ、すこーしずつ芸能界への警戒を解いていった気がしている。すれ違う全てが敵みたいなこの警戒具合は世間知らずの学生だったころ特有のもので、若さの象徴みたいに感じている。
 
 
まあでもそんなわけで、この「染まったら負けだ」と思っていたところが、当時(特にJr.時代)の翔くんの翔くんたらしめたところであり、滝沢と相容れられなかった原因でもないかと思っている。
 
 
翔くんはジャニーズでいることがコンプレックスだし、染まりたくないって芸能界に喧嘩売ってるし(そこまで芸能界嫌ってイライラしながら寧ろ何で試験休みでフェードアウトしないでわざわざ修羅の道に戻ってくんだよwという愉快な話でもある)、とにかく反抗的だし王道の逆しか行きたがらないし色んな意味で事務所の常識破りだしw、それに刹那的な存在だった。ジャニーズJr.やってるほとんど全ての人がデビューを目指してデッドオアアライブの世界で頑張っている中で、翔くんだけは最初から一択しかなかった。ずっとここにはいない。いつかいなくなることを前提として今を全力で生きてるだけ。ある意味ずるい。でも別にだからって険悪なわけではなかったんですよ。色んな人と仲良かったし、やっぱり楽しいから試験で休んでも戻ってくるんだろうし。ただ、それがいつかは知らないけどいつかは翔くんは自分の世界に帰ってしまう人だっていうのはみんなが共有している決定事項みたいなものだった。はず。
 
一方で滝沢は幼くしてそこにしか生きられない人だった。滝沢は滝沢で、デッドオアアライブの世界に生きていなかった。気が付いたときにはプロだった。黄金期のジャニーズJr.は今と違ってジャニーズJr.で一塊(その中で序列や簡単な区分けはある)って感じのごちゃっとしたものだったけど、滝沢だけはそのごちゃっから1段違うところにいた。わいわいがやがやした子供の中にひとり保護者が混じってるみたいだった、滝沢だってまだ少年なのに。そしてそのごちゃっとしたものの中から誰が生き残るか分からない中で滝沢がデビューしないわけはない(つまり滝沢を除いた残りの枠に誰が入れるかを競っている)っていうのも当時みんなが共有している決定事項みたいなものだった。
 
だから言ってみたら滝沢と翔くんの2人だけだったのかもしれない、選択肢がなかったのは。みんなどちらに転ぶか分からない中で、最初からずっと翔くんはいつかは自分の世界に帰ることが決まってて、滝沢だけはあの世界に当確してた。あまりにも違う2人は、お互いをどう思っていたかは知らないけど、なんかちょっと、ぎこちないというか、気を遣う感じはあった、と思う。ベガス然り。
 
 
テレビでデビューの話をするのはお涙頂戴とか変な物語をつけられがちだからほんとは好きじゃない。「一緒に頑張った、全てのジャニーズJr.に、ありがとう」って言葉でもう答え出てるし。翔くんはずっと、「全てのジャニーズJr.」を引きずってた。ハワイのときの夜会でも言ってたけど、自分よりもっとデビューしたかった人を知っているから。自分なんかよりもっと全力でそこに懸けてた人たちを知っているから。
「自分が選んだ道が正しかったのか、…よく分かりませんでしたけど」これはファーストコンサートでの言葉だけど、さっきの記事でも、『H』の17歳の自分への手紙(2014.01)*4でも同じことを言っている。それは自分がいるべき世界に戻り損ねたことも1つだし、自分が選んだことによりその道を選べなくなった人への想いも含んでいると思っている。
 
ただ、「全てのジャニーズJr.」と滝沢って別物なんじゃないかと何となく思っていて。「全てのジャニーズJr.」はあのごちゃっとしたものを指しているイメージで、この言葉から思い浮かぶ顔はフライデーの彼らやMAや裕貴くんや梨本くんや譲くんやまっさんや…で………翔くんのこういう話は何度か聞く機会があったけど滝沢についてどう感じていたのかは語られたことがない気がする。というか簡単には語れないセンシティブさがあった。*5
 
 
と、ここまでが、夜会を観る前に書いていた部分。ハイ、2016.07.14の夜会に向けたなげぇなげぇ前振り。
と言ってもまああんだけ煽られていた「うしろめたい」はデビューについてでも、学校と両立していた事でもなくて、反抗期だった事についてでした。あらやだ、読み外しちゃった。だからいつだか太一の頃のプレミアムで屋良っちが話していた内容に近いかもね。あの辺のメンツで滝とかに反抗してたっていう。結局夜会に便乗してあの頃の翔くんを思い出しまくっただけでしたwまあ所詮夜会だしね、ゼウスだしね。

まあでも、大人になって、ちゃんと話せてよかったねって思った。本当かざとまが言ってたのが盛ってもなくてへんな演出も煽りでもなくて、ほんとそんな感じだったよな〜と思うから。あの時の翔くんじゃ滝沢の責任の重みは分からないし、今の色んな重みを知った翔くんだからこその気持ちだろうし。どっちがすごいとかどっちが悪いとかそういう話じゃないよ。っていうか何なら私はそんなヤンチャな翔くんが好きだったわけだし。

でも今このタイミングだからよかったんだろうなぁ。このタイミングとは、タッキーって呼べるようになったタイミング、つまり半年前にブイコンを観に行き、あの頃を懐かしみ、斗真がしつこくしつこく鬼電をし翔くんを呼び出し、飲みじゃ飽き足らずカラオケに行って当時の踊りを踊り、おじさんたちが覚えたてのLINEでグループトーク作るようになった今ってことだよ!!!つまり感謝すべきは夜会でもゼウスでも滝様ドラマでもなくV6兄さんとそしてやっぱり鬼電してきた斗真だよ!!!!!!(あれ?)斗真が翔さんを好いてくれてることに本当救われているよありがとうな!!!!
 
 
それにしてもさ。
あのプリントアウトのやつ発掘して笑いが止まらなかったんだけど、「採算合うように」のくだりがもう桜井純度高すぎない???wwwwwwwww だから、「作られた真実」なんて永遠に克服しないんだよこの人!一生割り切ってるだけだよ!wwwww
でもさー?こんなマイナスなことばっか言う人がさ「5人なら何でもできそうな根拠のない自信があるんです」って言うのやばくない?当時はまさか紅白の司会とか国立コンとか年間売上1位アーティストとか絶対想像もできないくせに根拠のない自信だけはあるんだよ、この頃出したシングル、ウィークリー2位なのに。*6*7
で、また「その根拠の部分をみつけるように頑張りたい」って言うけど結局またその10年後に「仲が良いって言われるのは恥ずかしい」とか「分かりやすい武器がほしい」「もっと実力で評価される人になりたい」とか言うからねあの人wだから10年かけて見つけた「5人なら何でもできそうな」自信の根拠は仲が良いからなんだってば!wでもそれが恥ずかしいんだってよ!wでもまたその2年後に「何かもうどうでもよくなっちゃった」っていうからねあの人!はぁーーーおもしろい!翔さんあんた振り返れば振り返るだけループしてて面白いよ!
というわけで長ったらしい思い出話につきあってくださってありがとうございました。
 
 

*1:もちろんわざとこの字で。

*2:http://www.shueisha.co.jp/CGI/magazine/rack2.cgi/magazine/nonno_detail.html?key=detail_b&zashimei=nonno&id=0116

*3:ついでに白状すると当時私は好きなサイトさんの記事はだいたい印刷してましたwwリビング行ってパソコン開いたらまたパソコンばっかり!て怒られるから、いつでも読み返せるように…w

*4:https://twitter.com/_malika5/status/746357397573115905

*5:嵐がデビューしようと何だろうとそれでもやっぱり滝沢が特別な存在であるというそのパワーバランスは変わらないので、嵐はデビューしてもしばらく滝沢とずっと同じ番組に出ていたり、滝沢MCで嵐雛壇みたいななんとも言えない状況だったり、カウコンに出てもJr.な滝つより歌割少なかったり、あの嵐デビューからタッキー&翼デビューまでの数年はまあ微妙なものがありましてね。だから、「ご褒美をあげる」と言われたら「自分たちだけの番組がほしい」だったわけで、「どんな内容でも深夜でも構いません、自分たちだけの番組がほしいです」がヲタクも本当に心から同じ気持ちで、だからあんな合鍵企画とかくそみたいな番組でもそれでもないよりは!!だったわけで。

*6:とまどいが黄泉がえりに負けてウイークリー2位だったのは覚えてるんだけどあれリリースかぶったのかなあと確認したらとまどいは2/13リリースで月のしずくは1/15だった件wwwwWISH握手会事件の方が物語性があるから目立つけど、実はあれのがやばいw発売5週目の新人に負けたwというか2003年リリースはどっちも1位取れなくて、ハダシ/ことたいは福山の虹に負けたんですよ。と調べてみたら、虹も2週目だったwww握手会ドーピングしても勝てなかった2週目の福山…w

*7:でもそうやってだいじだいじに守られてない感が当時の嵐ヲタのガソリンだった気がする。

むにに にむ

Happy 26th Birthday!! 

いのおくーん!すきだよー!の気持ちをこめて、最近倍増どころか20倍増くらいしたここ1年くらいのソロのイレギュラーテキスト(主にカラフト露出とメレンゲ&めざまし露出のいのおさん単独記事に絞って読み返してます)を振り返って好きないのおさんを詰め込む。

***

2015春・初舞台に向けて

「頑張ってそういうお仕事がいっぱい来るように成長しないとなって。こういうチャンスが来たときに、勉強することも大事ですけど、次につなげていけるようにある程度の結果を残さないといけないなと思っています。常にそういう気持ちでやっていけたらなと考えてるっていうか、“思ってる”くらいですけどね。」(TVfan CROSS Vol.14)

「僕はあまり、日常から役に入り込んでしまうタイプではないと思うんです。追い込まれるとダメになっていくタイプなので(笑)。どんなにギリギリな状態でも、どこかに自分を客観的に見る余裕を持っていないと、いっぱいいっぱいな自分でしかなくなってしまうんです。」(STAGE SQUEARE Vol.13)

ーー4月からは出演ドラマもスタート。舞台との両立は大変そうですが……。「先輩たちもみんなこうやっていくつも仕事を両立しているので。この機会に、僕もお芝居と言うジャンルで少し成長できたらなって。」

「芝居もバラエティもまだそんなにたくさんやっているわけでもないので、どれが一番楽しいのかは、わからない。でも、とにかく自分の仕事をやっていけたらいいな、っていうのが正直な気持ちです。グループのことはもちろんですけど、僕の名前も覚えてくれたら嬉しいです。」(With 2015.5月号)

Hey! Say! JUMPのメンバーで舞台をやっているのは、薮宏太と八乙女光の2人だけで、オレで3人目。グループの中では意外と早くに舞台のチャンスを頂けたんでびっくりしたのが本音です(笑)。」

ーーメンバーからどういう人だと言われるの?と尋ねると「『伊野ちゃんは頭が良くて、真面目で、カッコよくて優しいよね』ってみんなから言われますよ。」「そうしたら読者のみなさんが『コイツ、すげーな。自分でハードルあげた』って少しでも興味を持ってもらえますかね(笑)。」(FLIX 2015.6月号)

「今までの僕を知っている人がこれを見て『アタシの好きな伊野尾くんじゃない!』ってこともあるだろうし、初めて僕を見て『この人いいな』って思った人がコンサートを見にきたら“なんか違うな”って思うこともあるかも知れないけど…」「全部好きになって、興味を持ってもらえればいいなと思います。」(TVfan 2015 たぶん5月号)

この頃、結構こういう興味を持ってほしい、自分を知ってほしい発言が多いね。あとはお芝居もバラエティも「まだ分からない」を素直に連発してます。上記のインタビューはほとんどカラフトの稽古も始まる前とかなので、ま、そんな感じでした。

で、肝心なところを端折りますがこの間にワクワク学校や24時間テレビがあって、おねむ男子からのHanako表紙*1からの猫好き男子展開、約1ヶ月のうちに特番出演が3回*2、そしてボンビーガール2回からの志村どうぶつ園準レギュラー(仮)になります。

さて続いてここ2ヶ月の怒涛の雑誌ラッシュ編。

 

2016春・めざまし・メレンゲレギュラーへ

ーー自身を取り巻く環境の急激な変化について尋ねると<中略>少し考え、「うーん、まずはありがたいことだと思ってるかな」と、こちらが拍子抜けするほどのんびりした口調で答えが返ってきた。

「いや、本当は周りの人たちのおかげなんですよ。いろんな人にツッコんでいただいたり、編集で面白くしてもらってるだけなんで」

ーーソロの仕事がほとんどなかったという何年間かに、苦悩はなかったのだろうか。「もちろん、少し落ち込んだり悩んだりはありました。でも、わりとすぐに切り替えて、自分にできることをきちんと頑張ろうと思ってやっていた気がします。」「仕事で返せないけれど、いつかこの経験を活かせるようにと、(大学に)しっかり通おうと決めてやってたんです。」(ザテレビジョンZoom Vol.24)

表紙のQLAPは最高すぎて全文起こしになりそうなので、頑張ってなるべく少しつまむだけにする……(それでも拝借しすぎ)

ーー周囲の反応はどうですか?「家族はすごく喜んでくれています。僕の仕事はサラリーマンと違って5年後10年後がまったく想像できないんで、こうして自分の仕事をテレビで見てもらえることで、少しは親を安心させてあげられたのかなって。」

ーーちなみに、昨年からの露出増加を受けて、“伊野尾革命”という言葉が生まれているの……知ってます?(笑)*3「そうみたいですね(笑)。でも革命ってついて来てくれる方々がいないと成功しないじゃないですか?だから、僕のことを昔から応援してくれるファンの方々がいてこその言葉だと思ってます。」

「前の僕は7年間くらいほとんど個人の仕事がなかったわけで。その時に“自分にできることってなんだろう”と考えていたんですよね。当時は今の自分にできるのは大学に通うことだと信じて勉強を続けていて。*4「“仕事が少ない時こそ、毎日遊んでないで、ちゃんと大学に行く”って気持ちがあった。4年間で卒業したかったしね。僕が大学に通うことでメンバーに迷惑をかけることもあったと思うけど、自分の中で“ちゃんと卒業しよう”って強く決めていたから、どんなにしんどくても辞めようとは思わなかった。」

ーー忙しくて疲れているはずなのに、いつも盛り上げてくれて感謝してますよ。「それ!みんなに『大変でしょ?』『忙しいでしょ?』って言われるんだけど、大学に通ってた時の方が大変だったから(笑)。」*5

これまでメンバーにしてもらっていたことを今度は自分が担って、Hey! Say! JUMPというグループをもっと大きくしていければと思っています。」(QLAP 2016.5月号)

ーー自分でも“忙しい!” “仕事してる!”という実感はありますか?「でも普通に働いているサラリーマンの方とか、もっと忙しい方もたくさんいらっしゃると思うし。そんなにすごい忙しいなとは…まあ忙しいですけど(笑)。ようやくちゃんと社会人らしいことができてるのかなって思いますね。」(TVfan 2016.6月号)*6

「頑張ったって言ったら…大学4年の卒論を書いている時かなぁ。」「(大学と仕事の両立は)やっぱりメンバーに負担をかけたとは思うから、本当に感謝しています。」(ザテレビジョン 2016 No.16)*7

「今までは他のメンバーは個人の仕事をしている中で僕はなかったので、グループに還元できるお仕事ができるっていうことがやっぱりうれしいです。それはデビュー時から応援してくれるみなさんがいるからこそ。その人たちに喜んでもらいたいし、逆にここ何年かで僕を知って好きになってくださった方にも違った一面が見せられるように精一杯やりたい。」(mina 2016.6月号)

先輩方には感謝しています。皆さんに面白くしてもらい、たまたま僕がキャッチーで一般の方に捕まったものがあったわけで、巡り合わせだと思う」

「メンバーや、7~8年個人仕事がなかった僕をずっと応援してくれたファンの方々にやっと恩返しができて、仕事している自分を見せられるのが嬉しい」

「評価は自分ではなく他人が決めること。だから僕は与えられたことをしっかりやり遂げられるよう精一杯頑張るだけ」(STORY 2016.6月号)

「学生時代、仕事と並行して学校に行って、提出物や卒論に追われて連日徹夜というゴールの見えない闘いを経験していたおかげで、この状況でも体力的なきつさは感じずにいられてます(笑)」(TV LIFE 2016 No.12)

「革命なんておこがましいんだけど…」

「これまで本当にソロの仕事が全然なかったから。みんな何でテレビに出ないんだろうとか、何でソロの歌割りがないんだろうとか、心配していたんだろうなって思うの。それは自分に何かが足りなかったからだから、せっかく応援してくれてるのに申し訳ないなって気持ちがあって」(ザテレビジョンCOLORS Vol.23 RAINBOW)

「なぜこの状況に陥ったかってこと?」

<ワクワク学校や24時間テレビを挙げつつ>「先輩から名前を出してもらえる機会があったりして、注目してもらえる部分もあったと思うので、巡り合わせとか、運とか、タイミングなのかなって。これが自分の実力だとはまだ全然思っていないし、応援してくれるファンの人とか周りの方々のおかげだと思うので、しっかり恩返しするためにも、実力をつけて、結果を出さなきゃいけないなって思う。

ーー有意義な大学生活だったんですね。「今考えたらね。」「当時は全然バラ色じゃなくて、ドブみたいな学生生活だったけど。」

「バラエティー番組を1本録った時に、誰かは前に出るけど、それ以外は注目されないということは必ずあって、9人を平等になんて無理なわけ。必然的に誰かが目立ってくるんだけど、誰を前にするかで見え方が全然違うのがJUMPの利点だと思うんだよね」(TVガイドperson Vol.46)

 

本当は最近、というか1ヶ月前くらいがピークだったのだけど、正直いのおさん見ててぱっぱらぱーにハッピーハッピーという訳ではなくて。いのおさんに、ではないけどいのおさんの環境や聞こえてくる声に思うことがすごいあって。でもそれですごくすごくいのおさんについて考えてたらなんかかえって楽しくなってきちゃって、なんかもうどうでもよくなった。だって悶々しながらこうやって雑誌読んでたらどれも一本筋が通ってて、飄々と、しかし明らかに成長してる部分もあって、どれもこれも好きしかない!!!!この訳わかんない状況に新規ながらも気持ち悪さを感じたりもしたけど、こんな状況だからこそこんだけの文献もらえてるんだもん!Myojoの一万字もはぐらかしてインタビュアーの好きにはさせまいみたいだったいのおさんがこんなに何本も真面目にインタビューに答えてくれて、その度あーーーやっぱだから私この人だったんだな!って思えるのチョーーーー幸せじゃね?!?!!って思ったらもうこの訳わかんない状況にも純粋な感謝しかない〜〜〜!気持ち悪い状況様様〜〜〜!だから難しいこと考えないで、とにかくいのおさんがくれるものを全力で楽しみたい。そして、あーーーーーーーすき!!って言えればそれでいい。

「何か自分が想像もしないような未来になっていたらいいよね。今の状況だって3ヵ月前にも想像すらしなかったことだから。良くも悪くも。想像できないことの方が楽しいと思うし、想定外のことが一番面白いからね。」(TVガイドperson Vol.46)

といのおくんは言う。そう言われると確かに私もJUMPには興味あるけど担当にしたい子がいないんだよね~とかずっと言ってたのがまさか急に伊野尾担になるとは思ってなかったし、ちょっとこいつおもしれーなそういえばこいつのこと全然しらねーな気になるなと思ったのが運の尽k…今の楽しい生活の始まりだなんて4年前は思ってもなかった。本当、想像もしなかった未来に連れてこられて、おかげでどんどん面白い体験をさせてもらっているよ。だから、26歳、ますます働き盛りのいのおくんが今年も楽しく過ごせますように!そして今年のいのおくんも「あーーーーーーーー好き!!!こういうところが好き!*8って思わせてくれますように。いのおくん、お誕生日おめでとう!生まれてきてくれたことに感謝!*9

*1:そもそもいのおくんが雑誌の表紙を飾ったのは2015年が初。1月におしゃれヘアカタログの表紙が決まった時大騒ぎして、3月にベスステの表紙で「これがほんとにほんとの初表紙だ〜」とぽわぽわ喜んだ半年後にアレだよ……

*2:芸能人ですよ旅、なりきりアニマルパーク、爆買いJAPAN

*3:でもこれ、2013年くらいから騒いでない?Qさまに出た時もネプリーグに出た時も、100アカが決まった時も洞窟ロケの時も伊野尾革命くるー?て騒いでなかった?きたー!は確かにワクワクと24時間だろうけど、言葉自体は結構前からあった記憶だよ。

*4:これ、ポジティブな感じじゃなくて、本当にそう思わないとやってられなかったっていうか、あの頃のいのおさんはそれがこんな風に今に繋がるなんて絶対思ってなかったのにとにかく通うしかなかった感じがいいんだよ…!

*5:奇しくも、同じよ~うなことを元担も言っていました。高1で留年しかけたこと、試験と主演ドラマが重なって1週間で計10時間睡眠だったこと。超聞き覚え見届け覚えあるわこの理論。だから、本当にそうなんだろうねって安心して背中を押せます。

*6:これも似たようなこと、どっかのよく知った人がバブルの頃に言ってました。個人的に、こういう感覚でいてくれるのものすごく頼もしさを感じる。

*7:でもあなた、一方でその卒論書きながら帝劇103公演皆勤賞って面もお持ちですやん…。

*8:「(そして顔が好き。)」

*9:だって「6月は伊野尾が生まれたことに感謝しよう」って言うから。