ジャニヲタは何故「担降り」するのに思い悩むのか、大真面目に考察してみた。
ジャニヲタもすなる担降りブログといふものを、我もしてみむとてするなり~!…と元担とわたしと現担のラブストーリー♡を紡いでやろうと下書きまでは書いたんだがやっぱり猛烈に恥ずかしくなってしまったので、趣向を変えて「私は何故ここまで担降りを恥ずかしがっているのか、気まずがっているのか」の言い訳をしてみることにした。(が、しかしこれすらやっぱり躊躇って何度も下書き保存で閉じている。)うっかり、これを3本くらい書いたら2単位もらえるのでは、くらいのボリュームになってしまったことを先に謝る。なるべく削ったんだこれでも。
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昨年、私は14年半応援していた嵐の櫻井翔くんから降り、Hey! Say! JUMPの伊野尾慧くんの担当になりました。そもそも、正に“誰でも”“大好き”な事務所担だった私にとって『担当』という概念を初めて覚えたのが翔くんでした。そんな私が「担降りとはなんぞや?」ということに頭を抱えだしたのは2012年のことです。何かもうほんとこんなに悩むほどのことかねえってくらいすごくすごく悩んで落ち込んでバカみたいに何度も友達と論争しました。
外から見ると「どうしてこんなにバカげたことを」と思うだろうのに当人にとっては本当地球が逆向きに回るくらいの大事件です。ましてや私の場合は15年に1度スケールの出来事だったのでとびきり重く捉えているところがあるでしょう。何がそんなに大事件だったのか、以下のお品書きでだらだらと言い訳したいと思います。
【1】あなたにとって『担当』とは?
【2】では『担降り』とは?
【3】何故『担降り』に頭を悩ませるのか
【4】担降りしてよかったこと
【5】担降りしてよくなかったこと
【1】あなたにとって『担当』とは?
担降り考える前にまず『担当』という言葉の定義をしましょう。正しい定義なんてなくてジャニヲタの数だけ存在すると思っていますが、私にとっての担当は「うちわを持ちたい人」です。*1私は色んなグループのコンサートや現場にお邪魔します*2が、余程の人がいない限りうちわは持ちません。ペンライトと双眼鏡のみで楽しみます。なぜなら、うちわはジャニヲタの日頃の愛の象徴だと思っているからです。
例えばふと行ったコンサートで隣の席のお嬢さん。彼女は毎日毎日そのアイドルが大好きで今日は待ちに待ったコンサート、その手に握り締めたうちわには彼女の日々の愛が詰まっているのでしょう。そこにふらっと遊びに来た自分にはそれほどの想いがあるのか?と思うとひどく居た堪れない気持ちになります。日頃の想いが乗っからないうちわなんて薄っぺらく思えて、こんなものアイドル様に見せるわけには…ましてやファンサなんて!私なんぞ無視してどうぞ隣のお嬢さんをめいっぱい幸せにしてくれ。なので逆に、うちわを持ちたい!と思ったときにはもう相当好きです。隣のお嬢さんが彼をどれぐらい好きかなんて知らない!私だって私なりに彼のことが好きなんじゃ!!と思って初めてうちわを作ります。その頃には割と日常的に興味を持っていて、雑誌をマメにチェックし暇な時はTwitterで検索しテレビも編集して保存してたりするので客観的に見ても結構担当めいたことをしていると思います。*3
この理論は逆もまた然りで、一度気に入ったアイドルでもそのうち「コンサートは行きたいけどうちわ持つほどじゃねーかな」ってなることもあります。席が遠すぎるとかの例外もあるかもだけど。私の場合こうなってくると担当というほどの熱量ではなくなっていると思います。私にとってうちわとはファンサをもらうためのものでもアイドルに見せるためのものでもなくて、自分の意気込みの現れ、ジャニヲタとしての自意識の顕在化の側面が強いです。
…そういえば「担当はタレントに似る」略して担タレって言葉があるけど私の日本語だと「担当=うちわを持ちたい人=タレント側」で、「自分の担当=自担」だから担当もタレも担当本人になります。でも例えばJUMP担と言えばHey! Say! JUMPを担当するヲタクのことを指し、ここで言う担当するという動詞の主語はヲタクでありタレントは目的語となるのであって担タレの場合は…あれ、ちょっと担当がゲシュタルト崩壊してきた。
【2】では『担降り』とは?
担降りもまたジャニヲタの数だけ定義があるでしょう。もう降りてしまえばほんとまるっきし興味がなくなる人もいる。元担なんてしらねーわーって元彼よろしく思い出の品を全て売り捌いてさらっと過去形にできる人もいるし、そうなれないのならそれは降りたと言わないという人もいる。
そのレベルを求められるなら確かに私は嵐から降りていません。録画もある程度はするし見るし保存するし初回も買う(DVDは買わないけど。BDにした。)雑誌も気に入ったやつは買うし、15年間のコレクションもほぼ手元にそのままある。こんだけやってたら降りたって言わないよ!と言う友達もいます。
私の担当の定義で言うと、複数担当容認派です。「X担でY担でZ担です」というのも全然ありです。「このグループだとX担で、あのグループだとY担です」も全然ありです。このように“X担の私”と“Y担の私”は共存可能ですが、その中でも主人格というようなものがあると思います。言い換えたら本妻と妾みたいな、正室と側室みたいなもんです。*4 何もひとつに絞る必要はないと思いますが、代表として何担を名乗るか(あるいは名乗らないか)はジャニヲタとして生きる上で重要な自己形成となります。
つまり私が担降りの必要性を感じたのは主人格に疑問を持ち始めたからでした。好きが増えても主人格を脅かすものでもないなら、好きが増えただけで難しく考える必要もないと思っています。しかしその順位が入れ替わっているようなら自分の中で整合性が取れない。ジャニヲタ人格の崩壊です。って言ったら流石に大袈裟*5すぎるけど、ジャニヲタにとってはきっとそれほどのことだからみんな思い詰めた担降り宣言をするし、担降りブログを書くのでしょう。
とはいえやっぱり仰々しかった気がするので言葉をカジュアルダウンしてまとめると、私の考える担降りとは“ジャニヲタという私”を改めて構築し直すことです。(元担をゼロにする必要はない)
【3】何故『担降り』に頭を悩ませるのか
お察しの通り私はこのようにバカみたいに重いタイプなので「降りれない降りれない」「降りたい降りたくない」と2年以上駄々をこねたのですが、何でこんなにもバカみたいに思い悩んだのかを紐解いてみます。
(1)相方との関係
多くの人にとってもこれが最大にして最難なのではないでしょうか。ジャニヲタの多くは特定の友人と相方関係を結びます。コンサートに行こうとする時に一人で行く人は少なく、大体は2枚以上取って誰かと一緒に行くはずです。このコンサートに一緒に行く相手をジャニヲタは「相方」と呼ぶのです。例えば片方が当選し片方が落選した場合、「じゃあ次は私があなたを連れて行くね!約束!」とかなるわけです。チケットが取りにくいグループや、何度でもコンサートに入りたい多ステタイプや良席重視タイプだと利害関係が発生するのでこれは非常にシビアな問題です。また相方は何もコンサートだけじゃなく、メンバー出演の映画を観に行くとかロケ地をめぐるとか付随するヲタク活動も行動を共にするような、いやそれすら超えてただただ一番の親友であるような非常にヘビーな契りとなったりします。こういった友人関係の場合常に同じレベルでヲタクであることを求めがちなので、相方と合わなくなっていくことを恐れます。降りても友達だよ!なんてよく言いますが、まあ実際はなってみないと分かりません。
(2)友達が減るんじゃないかという不安
相方に限らず、友達関係が担降りのネックな人も少なくないでしょう。ジャニヲタとして親しくなる場合、同じアイドルまたは同じグループが好き、というのが一番のきっかけであることが多いはずです。もしその共有ができなくなったらこの子もあの子も離れて行ってしまうかもしれない。よくTwitterの担降り宣言とかで「○○担としての私と仲良くしてくれていた人はリムーブしても構いません>< それでもいいよって人はこれからも仲良くしてください!」って言うのはこれが理由ですね。これも実際降りてみないと友達が離れていくかどうかは分かりませんが、降りたら降りたでまたそこに新しい出会いも待っているものです。 (2015/03/02 補足:私の場合これは直接の理由ではないですが、嵐担仲間とわいわいやってた頃はどんなにJUMPが気になっても本気で降りる気にはなれなかったです。色んなライフスタイルの変化で気が付いたら散り散りになってきたのがきっかけのひとつとなりました。)
(3)現担に対する執着
担当(担当G)が余程ショックなことをしたり絶望するほど裏切られたりしてもう降りた!とか、降りたいから降り先を探す!(もしくはいなくなった)っていうパターンもあるでしょうが、まだそこまで思いきれていない中だと“気になる彼”と現担を天秤にかけるという辛いフローが発生します。現担に対して多少なりとマイナスな気持ちもあるからこそ“気になる彼”が出てくるのでしょうが、現担だって最初は大好きで大好きで担当になったはず。振り返ればたくさんの楽しかった思い出があるでしょう。担降りをするということはその担当としてずっと刻んできた時計の針を自分で止めるということです。ちょっとでも現担に情が残っていればそれが苦しい選択であるのは十分想像できましょう。
(4)本当にこいつでいいのか?という疑念
え、お前ほんとにこいつでいいの?大丈夫?間違いない?降りた!つってやっぱ違ったやっぱやーーーーーめた!ってなるのはヤだよ?ほんとに?ほんとにこいつ?一時の気の迷いとかじゃなくて?大丈夫?現担と同じくらい愛せる?
(5)古参に対する遠慮
これは感じる人と、まっっっっっったく感じない人といると思います。っていうか絶対感じない人の方が多い。
私の話になってしまいますが、私が伊野尾くんに興味を持ったのはスパデリくらいの頃なので伊野尾くん的には大学3年生の終わり頃です。この時期の伊野尾くんは本当に隅中の隅で影中の影でひっそりとJUMP内にたたずんでいました。Johnny's webとドル誌が大事な生存確認の場で、舞台(サマリー)の出演シーンも少ない。正直大学生やってる方が楽しいのでは、彼は普通に生きた方が幸せなのでは、とファンが心配になるレベル。あの頃の伊野尾担はそんな状況で伊野尾くんを見つけ(もしくはJr.時代のキラキラした伊野尾くんからずっと振り落とされずについてきて)、他のファンより色んな意味で過酷な状況でも応援し続けてきた方々です。そこに「え、こいつこんなに真面目に大学生してたんだ!びっくり!気になる!」とふらっとやってきた私は、知れば知るほど先人達に申し訳ない気持ちを抱えていました。
~新規の私が覚えている2012年の伊野尾くんの主なトピック~
2012年の伊野尾くんは大学4年生。4年なんて卒論書くだけ(だけって言うほど容易くないだろうが)なんだから、単純に考えてそれ以前の3年間の方がより過酷な状況だったろうと推測できます。で、これだけのおいおいおいって事がありました。
(2015/05/06 追記 今更だけど2012年の雑誌を読み返していたら寧ろ4年生の時が一番忙しそうだったかもしれない、と思った。文系である自分の経験を押し出しすぎたかもしれない。反省。)
2012年当時私が見かけていた伊野尾担さんは上記の事件に時折どよ~んとなりながらもそれでも支え続ける献身的な方が多かったです。*8そういうのを見ていると、この時期を支えてきた方には敵わない、という遠慮ばかり抱えるようになりました。それは今でもそうで、伊野尾くんが注目される度に、古参からしたら私らってウザいだろうな~ごめんね畑荒らして…という気分になります。
これ多分私の性分で、嵐を好きになった時も私は同じことを思ってました。当時のインターネットはホームページ(ファンサイト)の時代で、余程の知識と情熱を持った精鋭たちのみが城を築いていました。Yahoo!に登録されているサイト*9とか嵐全体で20もないくらいだったんじゃないかな。それだけの情熱を持つ人は当然Jr.時代から応援していたりKYO TO KYOに通っていたりとにかく上級者しかいなくて、特に翔くんとかそこまで華やかな道を歩いてきた人ではないからデビュー出なんて新規中の新規(永遠の新規という言葉が出てくる前で助かった)だと思ってました。嵐を語る資格があるのはこういった昔を知る上級者のみなのだと思い込んでいたので、デビュー出の自分でも偉そうに語っていいんだ、サイトとかやっていいんだ、と思えたのは4年以上経ってからでした。*10
この遠慮の仕方をするタイプは損だと思うし「そんなこと考えたこともない!」って颯爽と駆け降りてゆく人のほうが多いと思う(そしてそのほうがヲタク人生が愉快)でもこのじめじめタイプも一定数いるのではないでしょうか。いつまでも「新規の分際ですみません…」と縮こまり、「あーもー何でもっと早く見つけられなかったんだろう!」と自分を責め、「私なんかに語る資格なんてない…」と落ち込むタイプ。このタイプは担降り、というか担当増やしでもジャニヲタデビューなんでもいいけどとにかく私この人の担当になります!という宣言をすることがなかなかできないと思います。
【4】担降りしてよかったこと
長い…そろそろまとめに入りたい。皆さまに「担降りっていいもんだぜヒャッハー!とっとと降りろ~!」と言いたい訳ではないのでまあ費用対効果ってことで。
(1)「新規の分際で…ウッウッ」の期間をこれ以上延ばさずに済む
お前、ごちゃごちゃ言ったところでどーせ心はもう降りてるんだから、だったら一刻でも早く降りた方が傷が浅く済むぞ。と私の中の何かに諭されました。
(2)時間とお金のかけ方が変わる
カケモだった頃と絶対的に変わったのがここ。今まで義務的に嵐に使わなければいけなかった時間が結構数あったので、その時間をJUMPに使えるようになって昔のこととか知らないことを覚える余裕ができました。今までもJUMPのことは好きだったけどやっと本気で向き合えるようになったような気がするし、今まで分かってたようで全然分かってなかったんだなあと感じることがあります。これからも日々勉強!
(3)マイナスな気持ちを抱えながら元担にしがみついているよりむしろ素直に好きになれる
ここ数年、嵐担としての私は非常に窮屈な考えをしていて、「嵐担たるものこれを見なければならない」「こんなイベント、こんなキャンペーンがあり皆参加しているので自分もやらなければならない」「嵐担だから」「嵐担なので」とまあバブル以降の私は半ば義務的に嵐担をしていました。何故って、全てはコンサートに行きたいから。“純粋な~”ムーブメントを見るにつけ、確かに最近嵐を好きになった人はこんなことまでやってる、こんなに情熱的だ、この人たちと椅子取りゲームをしてでもコンサートに行きたいと主張するなら同等の努力をせねばならん、というプレッシャーを勝手に感じていました。加えて、やっぱりコンサートは落選だらけ。「嵐担なのになぜコンサートに行けないのか」「嵐担ではない人がコンサートに行っているのに何故私は外れたのか」という醜いことも考え出します。ああ、あれは本当に自分が醜くてしんどくて友達も減るし嫌だった。でももう嵐担でいることに固執しなくなってからは嵐の番組だって見なくていいものは見ない、見たいと思ったものだけ見る、見て楽しいと感じる、という非常にシンプルなものになりました。努力もしなくなったので落選したってまあそりゃそっか~、と受け入れやすくなりました。コンサートに行けば自分のノリが浮くことも、アラフェスの投票結果を見て自分は最早マイノリティなのだと打ちのめされることも、今なら「そんなもんか~まあそうなるよね~」で受け入れられる気がします。
【5】担降りしてよくなかったこと
母親にマジで嫌がられた。「やめてよヘイセイジャンプなんて!あんたこれからまた10年はやめられないじゃない~あぁ~~もう嫌~~~私どこで子育て間違えたんだろう~(頭を抱える)」*11
ちなみに最近は「もう流石にヘイセイジャンプで終わりにするよね??」と言われます。10年後のことなんて答えられません。っていうかもし娘でもできてたら今度は娘と一緒に新たな趣味を見つけている可能性のが高いだろうよ…。
マイナス点はこれしかないってくらい毎日楽しいです。母ちゃん、ごめんな。
ちなみに降りた後の嵐初現場もデジタリアンにて無事に済ませましたが、変に揺さぶられることもなく、ただひたすら「嵐カッケーーーーー!!!流石ーーーー!あ~これを14年半も見てこられた私幸せだな~。いやあ嵐さんの背中は偉大でまだまだ抜かさせないぞって感じで頼もしいっすわ~流石私が青春ぶっこんできた男たちだわ~」と鼻高々に満足して終わりました。楽しかった。
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とまあそんな感じで私が見る担降りイベント考察は以上となります。長々お付き合いくださりありがとうございました。担降りに悩んだ皆さまもそうじゃない皆さまも、これからもジャニヲタ人生が幸多からんことを!
*1:斗真や風間のような役者組に対して「担当」という言葉を使って良いのか躊躇われるところもこれが関係していると思う。
*2:なんせジャニヲタ20年もやってると色んなグループの担当の友達がいるので誘われることもちょいちょいある。親までジャニヲタ。
*3:その意味(うちわという自意識を持ったタイミング)で言うと私は2012年の夏には伊野尾担になっていました。
*4:こう考えると今は死語かも知れませんが昔の『副担』という言葉は便利でしたね。
*5:どうでもいいけど「大袈裟」って漢字は大袈裟先生で覚えた世代。\おーげさせーんせーーーい!/
*6:後日、この頃は大学に泊り込み大学と横アリの往復をしていたことが発覚。と言ってもこの発言があった日は休日で授業はなかったはずなのでこの日も大学から来たのかは定かではないが、それくらいひたすら大学生だったという時期。
*7:メンバーからは「旅行行ったんでしょ?いーなー!」くらいに語られる。温度差…。
*8:心折れきっていなくなられるパターンもちらほら見かけた。
*9:そう、当時は一個人のサイトをYahoo!に登録していたのだ!検索エンジンとかちゃっちいもんだったから!リンクとリンクをつながないとワールドワイドにウェブしていかないんだな!あと同盟とかな!
*10:ブログ文明以降の人はここまでハードルを感じないと思う。サイトを始めるなんて本当重い腰で、そこに生きる人間の数も少ないしホームページビルダーとかHTML本片手に四苦八苦してやっと完成するしFTPとかめんどくさいし、直感的に始められるものでもない。好きになったが吉日でTwitterとか技術的な意味で気軽に始められると現代とは感覚的にだいぶ違うと思う。
*11:だが降りることにした一番のきっかけは「あんたもういつまでも子供じゃないんだからあれもこれもはやめなさい!嵐行くならヘイセイジャンプは諦めなさい」「じゃあ嵐諦める。からJUMPは行かせて」「エーーーーーーーーーーーー」っていう母の作戦ミス。